小学生の頃のことだが母親が読む女性誌に掲載されたベトナム戦争の枯葉剤の影響で生まれた奇形児の写真画像

 

 

 

 

 

目が無く他のパーツは全部揃っているものを見た

 

 

 

 

 

子供の俺は正直、「気持ち悪っ・・・」って思った

 

 

 

 

 

時は流れ中学、高校とそのことを時々思い出していた

 

 

 

 

 

友達が家族と遠出して遊んだことを語り感動したとか言ってて「何を自慢してんだ?」って僻み根性もあって嫌々聴いてたが

 

 

 

 

 

その時思った・・・目が見える、耳が聞こえる、手足が自在に動くこのことのほうが奇跡的でより感動的じゃないかって

 

 

 

 

 

この写真の画像を見たことは偶然というよりは俺に気付かせるためなのかなと

 

 

 

 

 

貧乏な家庭で育った故に貧富の差を嘆いて本来学ぶことはそこじゃないって言わんばかりに神が俺に教えたのだ

 

 

 

 

実際、貧乏から抜け出たんでそれは理解している(金や物は努力次第でどうにでもなる)

 

 

 

 

俺はまだ他に学ぶことが多く残っているのだ