「赤ちゃんの泣き方で何をして欲しいのか分かる」と言う親がいる。
私はどうしてもこの言葉を信用することができない。
どう考えても「泣き方」だけで判断するのは無理だし、そんな事が可能なら育児に苦労する親はもっと少ないはずである。
百歩譲って、
「ミルク飲んだのに泣いてるから眠いのかな?」などの時間帯や消去法での判断までではなかろうか。
「泣き方で何して欲しいかわかる」なんて言う親を見ると、私は「親だから子供のことはなんでも分かるんだ!」という勘違いの思考から、プライドを守る証明の為にそんな台詞を吐くようになっただけではないかと思ってしまう。
きっと本人も「そうあって欲しい」と理想を盲信しているだけであろう。
私の母親はそうだった。
ある日、母親が私に無断で郵便物をあけていたので、
「俺が扶養の時はそれでも良かったかもしれんけど、俺に届いた郵便物なんじゃけんもう勝手に開けんでや!」
と、結構な勢いで怒ったことがあった。
私の怒りに対して母親は
「なんで!だってお母さんは親なんじゃもん!」
と答えた。
私はその言葉を聞いて呆れてしまった。
母親は常に自分が親であることにプライドみたいなのを持ち続けていたのだろう。
息子が社会人になり、20歳を過ぎ、それでもまだ親なんだから子供のことは全て把握しないと気が済まないのだ、
「勝手に郵便物をあけるな!」という私の指摘に「親なんだから!」などという反論が通用すると思ってる所にも生理的嫌悪感を感じた。
あの時の出来事はささいなことであったが、あの日から私は「赤ちゃんは泣き方で何をして欲しいかわかる」と言う親に対して、自分を客観視出来てない自惚れから来るフレーズだとインプットされた。
と言うより、本当に泣き方で分かると言う人が居るなら証明してほしい。
泣き声を録音し、それを音声で聞き分けれる人がいるのならなら、岡山に住んでる親の元に私は膝をついて謝ろうという気になるだろう。
そんなことありえないので母には一刻も早くあの時の出来事について、私に膝をつき謝罪の弁を述べていただきたい。
私はそんな確固たる持論を抱えて生きている。
そして先日、会社で偶然赤ちゃんの泣き方についての話が出てきた。
「赤ちゃんの泣き方で何して欲しいかって本当にわかるもんなんですかね~?」
「俺、分かってたで」
そう答えたのは強面ヤンキー風の上司であった。
「・・・へぇ~、そうなんですね~。」
強面の上司曰く、ずっと子供と一緒にいたら嫌でも分かってくるようになるという。
私は「スゴいですね!確かに僕もなんとなくなら分かる時ありますわ!」
と調子良く答えた。
所詮は上司の顔色を伺ったらねじ曲げてしまうような持論だったのである。
親としてのプライド云々より、私は人としてのプライドについて考えるべきであろうか。
