いきなりですが、私はアリを食べた経験があります。
それは以前に、京都の貴船山を登ったときのことでした。
早朝から登り始め、早めの昼食をとるため、登山道沿いにある木の切り株に座りました。
そして持参したパンを食べていたとき、友人から声が掛かかったのです。
私は食べかけのパンを切り株の上に置いて、少しの間友人と立ち話をしました。
立ち話を終えて、再び切り株に座ってパンを一口食べた瞬間、プチッとした食感と不思議な甘みを感じました。
「あれっ」と思って手に持ったパンを見ると、パンに十数匹にアリが群がっています。
どうやら置いたパンにアリが集まり、それに気づかずにパンと一緒にアリも食べてしまったようです。
あのプチッとした食感はアリを食べた感触だったのです。
それにしてもアリは蟻酸を持っているので苦いというイメージだったのですが、実際に食べたアリは甘かったことが妙に記憶に残りました。

 



この話しを横浜の友人にすると、その友人もかつてアリをよく食べていたと教えてくれました。
友人は大手企業の役員、中国に長期赴任していた頃には頻繁に外食していたそうです。
そして店で出される広東料理の中に、アリが混ぜてある野菜炒めなどがあったのです。
アリは油で炒めてあり、食べると若干の甘みがあって、友人は「結構おいしかった」と言っていました。
どうやら広東料理ではアリという食材がそれほど珍しいものではなく、また私がアリを食べて甘いと感じたことも勘違いではなかったようです。
調べてみると、中国やヨーロッパ、 東南アジア、南米などでも、アリは結構食べられていました。
そういえば、アリは熊や野鳥にとっても貴重な食料になっていることを考えると、アリを食べない日本人の方が食わず嫌いなのかもしれません。

分類上では、アリはハチの親戚で、その中でもスズメバチに近い一群です。
そのためアリの蟻酸はスズメバチの毒液に成分が似ています。
しかし蟻酸を持つアリは少数派で、また蟻酸もきわめて微量なため、食べても問題はないそうです。
スズメバチの幼虫が「蜂の子」として食べられていることから、ハチの親戚であるアリが食用になるのも当然のことなのでしょう。

 

 



ちなみに、アリとよく似た昆虫にシロアリがいます。
シロアリはアリと同じように集団で社会生活を行い、見た目がよく似ていることから白いアリという意味でシロアリと名付けられました。
しかしシロアリはアリとは全く別グループの昆虫で、ゴキブリの親戚とされています。
そしてシロアリも貴重なタンパク源として古くからアフリカの人たちに食べられてきました。
ゴキブリの親戚といえばとても食べる気にはなりませんが、子どもの頃からシロアリを食べているアフリカの人にとっては、私たちが魚を食べるのと同じ感覚なんでしょうね。


神垣健司 著 フォトエッセイ集『蛇紋岩マジック』より

6月中旬、三次市の「品の滝」周辺を散策中に、驚くべき光景を目の当たりにしました。
地面近くに咲く花の写真を撮っていたとき、目の前を大きな緑色の毛虫が這っているのに気づきました。
大型の蛾・クスサンの幼虫だと思ってふっと見上げた木の幹に、数十頭のクスサンの幼虫が張り付いていたのです。
幼虫たちはゾロゾロ歩きながら木の上の方に登っていきます。
クスサンの幼虫が張り付いていた木は栗です。
栗の木を見上げると葉はすっかり食べられてしまい、ほとんど葉が残っていません。
その後、近くにある栗畑にも行ってみました。栗畑にある十数本の栗の木は葉や花がほとんどクスサンの幼虫に食べられてしまい、まるで枯れ木のようでした。
葉が落ちた栗の木で無数のクスサンの幼虫が這い回わっている光景は、まさに衝撃的でした。

 



昨年の秋、世羅町の観光農園「ラ・スカイファーム」でクスサンが大発生し、栗の実がほとんど収穫できず、観光栗拾いが中止になったことがニュースで報道されました。
クスサンの幼虫を駆除するために使用する農薬を使わず、自然栽培を試みたことが被害を拡大させたといわれています。
この日見た栗の食害の様子から考えると、今年も世羅台地周辺の栗は大きな被害を受けるのではないかと心配しています。

クスサンは日本全土に分布する大型の蛾で、初秋になると成人の手のひらサイズの大きさの成虫が発生します。
幼虫は栗や桜、梅など様々な木の葉を食べて成長し、蛹になる前の幼虫の長さは約八センチにもなります。
幼虫の体は黄緑色、全身に白く長い毛が生えているのでシラガタロウと呼ばれることもあります。
またクスサンが蛹になるときは別名スカシダワラといわれる粗い目の繭をつくり、その繭は手で引きちぎれないほどの強度を持っています。
そのためクスサンの繭は、かつてテグス(天蚕糸)として釣り糸に使用されていたそうです。



蛾をはじめとする昆虫は、ときに大発生をすることがあります。
その原因の多くは、気象条件や天敵の減少など様々な要因があります。
自然のサイクルの中で、ある種の生物が大発生することはありますが、大発生した生物はやがてあまりに増えすぎたことによる餌不足などでいずれ激減し、やがて元の数に戻るとされています。
しかし今回クスサンの被害に遭われている栗栽培の農家にとっては、そんな悠長なことは言っていられないでしょう。
クスサンの若い幼虫は集団になるため、そのときに消毒するのが効果的です。
しかし無農薬にこだわるのであれば、秋に産卵される卵を除去しないといけません。
卵は十数個をかためて木の幹に産むため、注意して探すと卵を見つけることは可能です。
いずれにしても、クスサンの駆除には大変は労力がかかります。
今秋、栗を食べるときにはそのことを頭に浮かべて、感謝しながら食べたいと思います。

 




神垣健司 著 フォトエッセイ集『蛇紋岩マジック』より

秋の休日、雲ひとつない真っ青な空です。
私は急いでカメラと双眼鏡を持って、休山の山頂に向かいました。
休山の山頂広場には海を見渡せる展望台があり、ここで南に渡っていく鷹を待ちます。

 



まだ朝早いので一番乗りだろうと思って行くと、すでにひとりの男性が双眼鏡で海の方を見ていました。
「おはようございます」と声をかけると、男性も双眼鏡を外して挨拶してくれます。
先週もここで会った人でした。彼は海上自衛隊に勤務する事務官で、2年前から呉に単身赴任しています。
呉の前は青森、その前は舞鶴、転勤になった先々で秋になると鷹を見ているそうです。
しばらく2人で鷹を待っていると、数人のグループがやって来て、「何を見ているのですか?」と尋ねます。
「渡っていく鷹を待っています」と答えると、「おもしろそうだから私たちも待ちましょうよ」と賑やかに話しながら海の方を見始めました。
やがて「ハチクマが来ましたよ」と自衛隊の人が声を上げました。
展望台にいる人たちは、いっせいに自衛隊の人が指さした方向を見つめます。
見つめる先には、風に乗って南へ向かう一羽の鷹が飛んでいました。

 



鷹の仲間・ハチクマは小鳥やトカゲなども食べますが、主食は蜂の子です。
地中につくられたスズメバチの巣を見つけ、それを掘り出して巣の中にいる蜂の子を食べます。
もちろん巣を守っているスズメバチはハチクマを攻撃しますが、堅い羽毛が全身に密集しているハチクマにはスズメバチの毒針が刺さりません。
またハチクマが特別なフェロモンを出して、スズメバチの攻撃性を失わせているという説もあります。
しかし主食の蜂の子は、秋が深まると成虫になってしまいます。
そこで冬でも蜂の子が食べられる東南アジアを目指して、ハチクマは秋が深まる前に南へ渡ります。

またサシバという鷹は主食が蛇や蛙などの両生・爬虫類ですが、これらも冬になると冬眠して地上から姿を消します。
そのためサシバは秋になると南へ渡り、冬でも両生・爬虫類が行動している東南アジアで春までの間を過ごします。
こうした東南アジア方面に渡る鷹は、秋の晴れた日に一斉に移動するため、多くのバードウォッチャーは周囲を見渡せる山頂や岬などに出かけて、渡っている鷹を観察します。
普段はあまり観察できない鷹が目の前を飛んでくれることもあって、鷹の渡りを見ることはバードウォッチャーにとって毎年の大きな楽しみになっているのです。

 



鷹の渡りをとても楽しみにしていた友人がいました。
秋になると、彼は毎日のように休山の展望台に上り、一日中渡っている鷹を待っていました。
私が彼と初めて出会ったのは休山の展望台です。
私は彼から鷹の渡りについて詳しく教えてもらったことがきっかけで、鷹の渡りを観察するようになりました。
やがて彼は癌を患い、入退院を繰り返すようになります。
しかし秋になると、何事もなかったかのように休山の展望台に立って鷹を見ていました。
私が展望台に行くと彼はいつも笑顔で迎えてくれて、それまでの鷹の様子を詳しく教えてくれます。
彼と最後に会ったのも休山の展望台でした。
そのときも、彼は南へ飛び去っていくハチクマをいつまでも愛おしそうに見つめていました。

 



彼が亡くなった後、友人たちが集まって、休山の展望台で追悼のバードウォッチングをしました。
その日は曇り空、なかなか鷹は姿を見せません。
長く待った後、一羽のハチクマが飛んできて私たちの上空で高く舞い上がりました。
そのハチクマは黒い点になるくらい高く上がり、そこで風に乗って一気に南に飛んでいきます。
私が最後に彼と会ったとき、彼は飛び去るハチクマを見ながら何を思っていたんだろう‥‥、そんなことを考えながら南へ向かうハチクマを見つめていました。


神垣健司 著 フォトエッセイ集『蛇紋岩マジック』より

自宅の書棚に『呉市付近の昆虫』という薄いガリ版刷りの冊子があります。
発行は1961年、著者は三津田高等学校定時制生物部の保田信紀さんです。
保田さんは昭和30年代の呉市における昆虫研究をリードし、その後は北海道・層雲峡博物館の館長として北海道の昆虫相解明に貢献された人です。
冊子の内容は灰ヶ峰、野呂山、二河峡などの昆虫類を登山道や散策路ごとに解説したもので、その流暢な文章はとても高校生とは思えないほど完成されたものでした。

最も印象に残ったのは、野呂山の章で紹介されていた『馬離場(ばりば)池』です。
馬離場池は江戸時代に開拓地として開かれた野呂山・観農坂にある池で、冊子ではまだ民家が一家残っていると書かれていました。
野呂山の奥深くに自分がまだ知らない池があること、そして馬離場池という言葉の響きがいつまでも心に残り、とうとう今から20年ほど前、冊子で紹介されたルートどおりに、広石内から馬離場池を目指して野呂山を登ってみました。
当初、登山道はまだ残っているかと心配したのですが、道はそれほど荒れていません。それどころか石垣がところどころにあり、きれいに敷き詰められた石畳も残っていました。
石畳を見たときには山奥にこんな立派な物があることに感心し、この道がかつて野呂山と広町をつなぐ重要な交通路であったことを再確認しました。

しばらく山道を登っていると、行き先が少しずつ明るくなってきました。
そろそろ観農坂かと思って、その場でいったん足をとめてタオルで流れ出る汗を拭きます。
すると同時にガラガラガラッという轟音が響き、目の前を一抱え以上もある大きな岩が転がっていきました。
あまりの唐突な出来事に、しばらくは頭の中が真っ白です。
落石があったことを理解したのは、少し落ち着いてからでした。
もし足を止めて汗を拭わなければ、大きな落石の直撃を受けていたはずです。
しかし、そのときは命拾いをしたという安堵感よりも、これからも落石が続くのかという恐怖心の方が強かった気がします。
その後、周囲に十分注意しながら引き続き登ると、すぐに工事中の林道に出てきました。
この林道は、当時はまだ開通しておらず、盛んに工事が行われていました。
あの落石はこの林道の工事が関係していたのかもしれません。

 



林道を横切って森に入ると、やがて木々の奥に池が見えてきました。
待望の馬離場池に到着したのです。
馬離場池は人工の溜め池です。
明治時代に野呂山の氷池で作った氷を馬で広石内まで運ぶ途中、いったん馬を休ませる場所だったことから、馬離場池と呼ばれるようになったそうです。
池の周辺では食虫植物の仲間・モウセンゴケが見事な群落をつくっていました。
そしてかつての民家や畑、神社は、石組みだけがわずかに残っているだけです。
静まりかえった森の中にある馬離場池は、まるで「夏草や兵どもが夢の跡」の世界です。
しかし平成22年に林道・郷原野呂山線が開通したことで、かつて秘境だった馬離場池も、今では車を使って容易に行くことができるようになりました。

 




神垣健司 著 フォトエッセイ集『蛇紋岩マジック』より

数年前から、葉緑素を持たない腐生ランを求めて、薄暗い森の中で地面を這うようにして探すことが多くなりました。
こうして探してもなかなか腐生ランは見つからないのですが、様々なキノコの仲間と出合います。
あるとき、まるでマッチ棒のような見慣れないキノコがあったので、種類を図鑑で調べるために掘って持ち帰ることにしました。
ゆっくりとキノコの根元の枯葉を除くと、そこには変な物が付いています。
キノコの根元に付いている物をよく見てみると、それは死んでいる虫で、形からカメムシの仲間だとわかりました。
詳しく調べた結果、このキノコは冬虫夏草(とうちゅうかそう)というキノコの仲間で、正式にはカメムシタケであることがわかりました。

 



冬虫夏草は昆虫に寄生するキノコの総称で、「冬には虫となってよく働き、夏に至れば草となる」という想像から中国でつけられた名前です。
冬虫夏草が寄生する昆虫の種類はそれぞれの菌によって特定されていて、蟻に寄生する菌は蟻だけに、蜂に寄生する菌は蜂だけにといった具合で、それぞれアリタケ、ハチタケというように寄生する昆虫の名前が種名のはじめにつけられています。
そして冬虫夏草が一般にもよく知られているのは、漢方薬としての効能が衆目を集めているからです。
中国の有名な漢方医学書では、冬虫夏草は人間のエネルギーを生み出す源で身体を強壮させると紹介されており、中国の歴代王朝で珍重されてきました。
特に中国・チベット高原の標高4,000m付近に生息するコウモリガという大型の蛾の幼虫に寄生する冬虫夏草は大変貴重なキノコで、その様々な効能から高値で取引されています。
コウモリガに寄生した冬虫夏草は、25年前に北京で開催されたアジア大会の陸上競技で旋風を巻き起こした「馬軍団」の選手が、この冬虫夏草のエキスを摂取していたことで世界的にも一躍有名になりました。

 



冬虫夏草はまだ多くの謎を持った不思議なキノコです。
ハチタケに寄生された蜂は今にも動き出しそうな姿で死んでいるので、菌に冒された蜂は生きたままキノコが発生するのか、または死んだ後にキノコが発生するのかもわかっていないようです。
またカメムシタケに寄生されているカメムシは、落ち葉の奥深くに潜り込んで死んでいます。
通常、夏場のカメムシ類は落ち葉の中に入り込むことはありません。
カメムシタケの菌に寄生されたカメムシは生きたまま菌に操られて落ち葉に中に潜り込み、そこで死んだ後にカメムシタケが発生するのかもしれません。

3年前の夏、私は中国四川省の省都である成都の郊外に一週間ほど滞在していました。
朝から雨が降って出かけられない日があり、私はホテルのロビーにあるソファーに座って雨がやむのを待っていました。
ぼんやり窓の外を見ていると、一人の中年の男性が声をかけてきます。
中国語なので話している内容がはっきりとはわからなかったのですが、どうやら自分の持っている物を買わないかと言っているようです。
その男性は持っている袋から、茶色い物を出して見せてくれました。
それはまさに大きな蛾の幼虫に寄生している冬虫夏草です。
あのコウモリガの幼虫に寄生した幻の冬虫夏草かもしれません。
とりあえず値段を聞くと800元、日本円では一万円以上もします。
しばらく考えた後、偽物かもしれないと思って購入しませんでした。
それにしても立派な冬虫夏草でした。今でも日本で小さな冬虫夏草を見つけるたびに、あの中国で見た冬虫夏草を思い出し、思い切って買えば良かったかなと少し後悔しています。

 




神垣健司 著 フォトエッセイ集『蛇紋岩マジック』より

6年ほど前、NHKで『光る森~神秘の発光を追う~』という番組が放映されました。
舞台は高知県中部の横倉山、かつて安徳天皇が隠れ住んだといわれる平家伝説や、世界的な植物学者である牧野富太郎博士の研究の舞台となったことでも知られた山です。
その番組で紹介された光るキノコの映像は幻想的で美しく、いつかは自ら撮影してみたいと思い続けていました。

今年の6月下旬、高知市内のホテルに宿泊する機会がありました。
高知市から横倉山までは車で移動すると約1時間。
ちょうど光るキノコが発生する時期でもあります。
これは絶好のチャンスだと思って、横倉山に行ってきました。
 

 

6月の横倉山で見られる光るキノコはシイノトモシビタケとギンガタケの2種類、まずは夕方からシイノトモシビタケが生えている倒木の近くで待機します。
すると一人のカメラマンが山道を登ってきました。
声をかけると、やはり光るキノコを撮影する地元の人でした。
その人は、ギンガタケの場所も知っているので案内しようと言ってくれます。
さっそくその人の後について、森の中の急な斜面を下っていきました。
ギンガタケが生えている場所は斜面の途中にあり、巨樹の幹に大きさ数ミリのギンガタケが群生していました。
ギンガタケが生えている巨樹の前には、すでにカメラマンたちが待機していました。
いずれも地元の方で、この場所まで私を案内してくれた男性、そして年配の夫婦と若い男性の4人です。
私もここで撮影の仲間入りをさせてもらうことにしました。

日が暮れて辺りが暗くなると、巨樹に生えたギンガタケがぼんやりと光り始めます。
さっそく各々が撮影を始めますが、私は不用意にカメラのピントを動かしてしまいました。
しかし暗闇の中ではピントの再調整ができません。
しばらくどうしようかと迷っていたのですが、思い切って「すみません。ピント合わせに失敗したので懐中電灯をつけてもいいですか?」と声を出しました。
懐中電灯をつけるということは、その間は撮影をストップすることになります。
撮影が邪魔されることを嫌う人が多い中、この場所にいた4人は、「いいよ、いいよ。
しばらく撮影をストップするから」といって快く承諾してくれました。


ギンガタケの撮影を終えて、真っ暗な森の中をシイノトモシビタケの場所まで移動します。
先ほどまで一緒に撮影した若い地元の男性はシイノトモシビタケの傘が少し黒くなっていたので光らないかもしれないと心配していました。
それでも暗闇の中、私を先導してくれます。
ところが現地に着くと、遠目でもわかるくらいシイノトモシビタケが発光していました。
私を先導してくれた男性は「やったあ、光っています。本当に良かったですね」と声を掛けてくれます。
その夜は幻想的な光るキノコが撮影できて大いに満足、そして優しい人たちと出会ったことも良い想い出になりました。

 




神垣健司 著 フォトエッセイ集『蛇紋岩マジック』より

昨夏、島根県沖の日本海に浮かぶ隠岐諸島・島後を訪れました。
隠岐を訪れるのは約30年ぶり、かつて訪れたときは単なる観光旅行だったせいか、島の印象を含めてあまり記憶に残っていません。
しかし昨夏の隠岐訪問は観光ではなく、ナゴランという野生の着生ランを探す目的でした。

ナゴランは木の幹や枝、岩などに着生する亜熱帯性のランの仲間で、沖縄本島北部の名護岳で初めて発見されたことからナゴランと名付けられました。
夏に咲く可憐な花は、夕方や早朝に上品な芳香を放ちます。
しかし発見当時から乱獲が続き、発見地の名護岳周辺ではほぼ絶滅状態、その他の地でも数が激減して絶滅危惧種に指定されています。
中国地方では対馬暖流の影響を受ける隠岐のみに分布し、隠岐の観光パンフレットには島後の春日神社が自生地として紹介されています。
そして境内のクロマツの幹に着生した見事なナゴランの写真が掲載されていました。
そこで幻のランともいわれるナゴランでも、隠岐の春日神社に行きさえすれば簡単に見られると思ったのです。

 



島根県松江市の七類港からフェリーに乗って約2時間半、隠岐諸島・島後に到着するとすぐにレンタカーで春日神社に向かいます。
春日神社は海辺に面した立派な神社で、さっそく双眼鏡を使って境内に生えるクロマツを見上げながら探しました。
しかし、いっこうにナゴランの花が見当たりません。
しばらく探していると、やっとナゴランのものと思われる小さな葉は見つかりましたが、花を咲かせるような株はありません。
そこで近くで休んでいた地元の人たちに聞くと、「花を咲かせるような大きなナゴランは全部盗掘されたよ。」とあきらめ顔で教えてくれました。

当初予定していた春日神社にナゴランがないのであれば、もう自力で山の中を探すしかありません。
ナゴランはモミの巨木に着生していることを事前に調べていたので、とりあえず深い森に入ってモミを探しました。
しかしそう簡単にナゴランは見つかりません。今回はだめかなとあきらめ始めた頃、ふと見上げた大きな木がモミでした。
念のためと思って双眼鏡で高い位置にある枝をながめると、黄色い花に目がとまりました。ナゴランの花です。
「やったあ~」と心の中でガッツポーズした瞬間でした。

 

 



その後もナゴランを探しながら山道を登っていると、急に視界が開けました。
山頂に到着したようです。山頂からは四方を取り囲む日本海が一望できました。
そこには水平線の先にあるはずの本土は見えず、ただ空と海が広がっているだけです。
私が住む瀬戸内の海は対岸の四国まで見渡せるので、水平線の先に何も見えない海はかえって新鮮でした。
ぼんやりと海をながめていると次第に気持ちが落ち着き、やっと隠岐にいるという実感がわいてきました。
海は人の心を穏やかにします。
かつて隠岐に島流しされた後鳥羽上皇や後醍醐天皇は、隠岐の海を見ながら何を思っていたのだろう‥‥そんなことがふと頭をよぎりました。


神垣健司 著 フォトエッセイ集『蛇紋岩マジック』より