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人生の伏線回収、始めました!
生まれてくる前に決めてきた『人生のシナリオ』伏線に気づきながら毎日引き寄せ!
神社めぐりとおうち時間が大好きな50代のちょいスピ日記。

こんにちは。

 

最近わたしは日記アプリでジャーナリングを始めました。

元旦に突然降ってきたアイデアでした。

ペンでノートに書くのがいいと言われていますが、スマホ漬けでアナログな手作業をしない人には新鮮で良い効果があるのだと思います。

 

わたしは、白紙を見るとレイアウトや行間や誤字やちょっとした修正やが気になりすぎて、客観モードに入り自分の気持ちが二の次になってしまい、そのせいで手帳や日記が使いこなせないことが長年の悩みでした。

 

ノートパソコンでクローズドな空間でただただ壁打ちしたい。

できればスマホのジャーナリングアプリのようにAIが自己分析を手伝ってくれたらいいな、と思ってスマホとパソコンを連携できる『muute』というアプリを試してみてます。

パソコンで文章を書いて、スマホで分析を見る、という。

自分にはこのスタイルとても合ってて、続けられそうな気がします。

(webとスマホを連携させるのは有料なんですけど)

 

 

さてさて、前置きはさておき玉置神社のお話です。

 

 

 

呼ばれないと行けない筆頭格 玉置神社

 

奈良県吉野郡十津川村の標高1000m付近にあります。

 

 

関西住みでも個人で交通機関を使って日帰りするのは難しい場所です。

わたしはペットを他人に預けて旅することが不安で、日帰り旅行しかしないと決めているので、玉置神社に参拝するのは無理だと考えてました。

そして、いつか行けたらいいな…くらいの気持ちでいたんです。

 

初めて天河大弁財天社ツアーに参加した2024年秋に、相席になった方がクラブツーリズムのバスツアーで玉置神社に行ったと話されてて、情報を得たのがきっかけでした。でも、その時は冬が近くもう募集はされてなくて、翌年、タイミングよく募集中に見つけることができ、申し込むことができました。

この梅田発の日帰りバスツアーは、初夏から初秋にかけて何度か開催されていましたので、今年も開催されれば参加したいと思っています。

このブログも単身、車なしだけど玉置神社に行ってみたいという方への情報になれば幸いです。

 

 

そんな日帰りバスツアーの記録です。

 

今の季節は雪景色でしょうか?

写真は季節外れの新緑の玉置神社ですが、お付き合いいただけたらうれしいです。

 

 

本当に呼ばれないと行けないらしい?

 

添乗員さんがおっしゃってました。

添乗員仲間が「今度玉置神社のツアー担当になった」と喜んでいたにもかかわらず、直前になって体調を崩して同僚に代わってもらうことになっていた…仕事でさえも呼ばてれないと行けないんだな、と。

前日の天候不良で山道が通行止めになって、近くまで来たのに辿り着けない、なんてこともあったそうです。

 

ですが、そんな話を聞いてもなぜかわたしは楽観的でした。

ワクワクしていました。

 

そして、全てが順調そのもので、無事に辿り着くことができたのでした。

 

熊野三山の奥院

 

聖域という表現がぴったりな場所です。

身の引き締まる神聖なエネルギーを肌で感じることができました。

 

晴れたり薄く曇ったりというお天気。

太陽の光が柔らかで、森は明るく幻想的でした。

 

 

参道をしばらく歩くと二手に分かれます。

わたしは鳥居のある右から行きました。

 

 

 

足元が悪いところが多いので、グリップの効いたスニーカーや登山靴と、あと虫除けスプレーをおすすめします。

新緑の季節は、空中を飛んでるブヨなどの虫が多いのが難点。

 

 

 

天然記念物の杉の巨樹がところどころにあり、触れなくても、見上げるだけで降ってくる…大地とつながる感覚、上からも下からもエネルギーを受け取ることができます。森にいると包まれる感覚になるので、時間(と虫)を気にせずにすむなら、もうずっと佇んでいたい場所でした。

 

 

まずは玉石社へ

 

玉置神社について予習した中で、一番ピンときた参拝ルートを採用して進みます。

 

 

まず最初に山を登って玉石社に向かいました。

 

さくっと登ったかのように書きましたが、体力…とくに脚力が弱ってきたわたしにはけっこうキツイ道だったので、休みながらゆっくりと登ってなんとか辿り着けました。

 

 

 

 

玉石社の御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)様。

といえば…と、那智の御滝を思い出しました。

 

こちらのご神体は、地に埋まった石です。

 

 

 

玉置神社の名前の由来とも言われているとか。

玉(石)を置く、という。

 

 

 

そばにある木の枝がまるで龍のようです。

 

ここは本当に聖域だと感じます。

山や樹々が生きてる。

鼓動を感じる場所でした。

 

願わくば、山頂を目指してみたかったのですが、バスツアー最大のネック…集合時間に間に合わない。

ので諦めました。

車などで来られてお時間にゆとりのある方にはおすすめします。

 

さて、玉石社から本殿に向かう途中にも摂社・末社があり、出雲大社玉置教会や三柱神社にもご挨拶しました。

 

そして、最後に本殿に参拝します。

 

 

本殿で青天の霹靂を見る

 

 

 

玉置神社には三基の宮殿があり、五柱の御祭神が祀られています。

 

右:伊弉諾・伊弉冉・天照大神

中:国常立尊

左:神日本磐余彦命(神武天皇)

 

本殿にたどり着いた時、人払いが起きて独り占め状態になりました。

参拝中に目を閉じた瞼の裏側が明るくなり、陽が差して晴れてきたのがわかりました。

 

参拝後も人がいなかったので、空を見上げながらスマホで写真を撮り、スマホをおろしてまた空を見上げて、とてもゆったりとした気持ちのいい時間を過ごすことができました。柔らかな日差しに鳥居も本殿も輝いてる感じ。

 

その時、遠くでゴロゴロと雷の音が。

山の天気は変わりやすいというから、雨が近づいてきてるのかもしれないと思いましたが、わたしの頭上は多少の雲はあってもまだ青空が広がっていました。

 

その時、青空に白い閃光が走ったのを見ました。

少し置いてゴロゴロと鳴ったので、それが稲妻だったのだと気づきました。

 

 

『これが青天の霹靂?』

 

 

びっくりというより、理解するまでしばらく呆然としてしまった。

晴れた空に走る稲妻。

本当にこんな自然現象が存在するんだ、と。

 

ちなみに『青天の霹靂』の意味は「晴天に雷が鳴るというありえない現象から、「思いがけない突発的な出来事」を指す」だそう。

 

ありえない現象?

いや、見ましたけど?

 

 

山の天気ならではなのかもしれません。

『青天の霹靂』という例え自体は不吉に聞こえますが、神社で雷を見ることにはスピリチュアルなメッセージがありそうです。

 

とてもとても心に残る出来事でした。

 

 

 

 

本当に、ここでは光が降り注いでいるような感覚がありました。

 

 


その後、社務所で御朱印をいただいたり神代杉などを見て、白山社で菊理比売様にもご挨拶して集合場所へと戻りましたが、青天の霹靂が忘れられません。

 

 

 

少しボーっとしていたせいで、駐車場付近でついにブヨに刺されてしまいました。

(ブヨに刺されると数ヶ月腫れが引かないのでご注意を!)

 

 

世界遺産 玉置神社

 

森の樹々から大地のエネルギーを感じるところから始まり、空から降ってきた稲妻のエネルギーを受けるというなんという充足感でしょう。

玉置神社は地球であり宇宙だな、と思いました。

 

 

 

 

多くの人に知られるようになって、たくさん訪れてほしいと思う反面、この聖域が汚されることのないよう願います。

 

駐車場から吉野の山を眺めていると、だんだん雲が厚くなってきました。山の天気は本当に変わりやすいです。

 

 

 

この後、バスツアーは十津川温泉に立ち寄り、わたしは足湯を楽しみました。

 

 

車中から奈良の自然に感動!

 

帰りの車中、幸運にも窓際だったおかげで自然の風景を眺めることができました。ガラス越しに撮影したせいか、それがかえって幻想的な色合いに撮れていましたので、何枚か載せてみます。

 

 

 

絵画みたい。

ていうか、ここまで不思議な色だとAIっぽい?

 

 

 

肉眼でも水の色が緑なんです。

街で暮らしてると、色彩に感動してしまう。

 

 

同じ近畿圏なのに、こんなに自然が豊かな場所があるなんて、改めて日本のあちこちを旅して見てみたいという思いが湧いてきました。

 

 

玉置神社の思い出

 

玉置神社といえば、悪魔祓いの護符。

わたしは和紙のカードタイプのものをいただいてきて、カードホルダーに立てて寝室に置いています。

 

 

 

そして、御神木の腕輪守りもいただきました。

大きい玉のものがよかったけど、手首のサイズ的に着けられないので小さい方で。

 

 

 

 

あれから毎日着けて玉置神社とのご縁を大切に感じていますおねがい

 

 

    

玉置神社

奈良県吉野郡十津川村玉置川1番地

 

 

 

スピリチュアルな考察

 

神社で雷が鳴るのは『神鳴り』とも言われているそうで、ポジティブに受け取っていいようです。

本殿での参拝後だったので、願いが神様に届いたとか、人生の激変が待ってるとか、覚醒とか、浄化とか、受け止め方にはいろいろあるようなので、自分がどう感じたかが大切なんだろうなと思いました。

 

わたしは、この参拝の後、仕事の大事な山を越えることができ、今そのプロジェクトに取り組みながら人生の役割や目的、天命について視野を広げて思うことが増えてきています。

 

ただ、遠くを見るような感覚が強まると、今何も動いていない気がして不安になることがあります。夜明け前が一番暗い、と言われているような…高く飛ぶ前にはしゃがみ込む、というような感覚です。

顕在意識は感情が揺れることに振り回されがちだけど、どこか俯瞰した自分は何かが起こる前の静けさのように感じていて。

 

時を待て、みたいな感覚です。

 

信じて穏やかに待てずに、不安で感情が波立つことも多くて、わかっていても人間というやつは…という気持ちになりながら。

あれから半年、あの青天の霹靂を見てから、今そんな感じです。

 

 

話したところで誰にもわかってもらえなさそうな感覚の世界。

もともとINFJ(MBTI:提唱者)のわたしは、頭の中の声がめちゃくちゃ多い。

冒頭で言ってたジャーナリングも、整理するための文章化は良い習慣になりそうです。

 

 

夢で呼ばれる

 

昨年末にある拝殿で参拝する夢を見ました。

『淤加美神』と書いてありました。

呼んでいるのは龍神様のようです。

 

(龗じゃなく淤加美の文字で出てきたのはなんでだろう?)

 

夢の中で「3月末なのに寒い」と言ってたので時期指定?

 

 

 

それでは、長々とお読みいただきありがとうございました。

記録のストック、次は江島神社になりそうです。