私は母子家庭で育ったので、父方の話より、母方の話のほうが詳しい。

私の母の父、即ちおじいちゃんは養子として育てられたという話をおばあちゃんから聞いた。

なんでも、田舎町でも裕福だった旅館の養子として、育て上げられた。

養子になった経緯については、

なんでも不倫の子扱いされた赤ちゃんを不憫に思った旅館の女将が養子として引き取ったらしい。

そして、裕福な旅館で育て上げられた。

私が見たおばあちゃんのアルバムの写真には学校の相撲取りの写真に祖父の姿があり、

その後ろに「麒麟児」と書かれた旗が掲げてあった。

文武両道だった祖父は養母に自分の実の子供以上に信頼されていたそうだ。

相撲、空手、柔道など格闘技に優れた才能を示し、勉強もできたらしい。

しかし、写真にのめりこみ過ぎて怒られたそうだ。

そして、養父がなくなる際には「博打と女遊びだけはやるな。」と遺言を残したらしい。

詳しくは覚えていないが、養母がもう亡くなりそうだった時に、

実の息子だったかに首を絞められていたのを助けたことがあったらしい。

けれども、財産はすべて実の息子・娘が持っていき、

代わりに旅館が他の人たち貸していたお金の帳簿(?)をもらったそうだ。

人に貸したお金をもらうのを快く思わなかった祖父はお金もらわなかったらしい。

そして、第二次世界大戦のときには中国・朝鮮の方に徴兵されて、出向いたらしい。

 

私の母の母、即ち祖母は幼い時に親を亡くし、自分の母の姉妹の夫婦に育てられたらしい。

しかし、自分と血の繋がりがあるとはいえ、戦争のときには辛い思いをさせられたらしい。

米櫃に線を引き、

祖母が盗み食いをしないように仕向けられているのを知った時には泣いたらしい。

私が見た祖母のアルバムにはお祭りのときの写真一枚を除いて笑顔がなかった。

祖母は今でも美人として通るほど器量が良かったのだが、

その当時の写真の在り方のせいか、あまり笑顔を見せていなかった。

その事を言った時に祖母は泣いてしまうのだった。

 

第二次世界大戦後、二人はお見合い結婚をした。

祖母は祖父が頭がいいので、苦労せずに楽ができると思ったらしいが、

祖父は漁師の道を選んだ。

 

そして、四女一男を拵えたそうだ。