もしも~し、お寺ですョ

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妙栄寺 公式ブログ



これを見つめて
ここに疑念が起こる


生きるとは何だ?
死ぬとどうなるんだ?


こういう事を考えたとき
ようやくヒトは人間に成れる


酒や薬で我を忘れて
刃物や拳銃を振り回して
傍若無人の身勝手な奴に

生きるとはなんだろう?
死ぬとどうなるだろう?

そんな話は無駄である。

生きるという事に向き合えず
死んだって何も残らない!
遺体はやがて腐りだし
いずれは骨になるだけだ!

そういうヒトがいる。
極めて動物的であり、、、
心の中で思考する事を
拒絶して生きてしまった輩。

そういうヒト、そんな奴ら、
それは野生の獣たちと
ほとんど変わりがない。

食べる、飲む、排出する。
襲う、犯す、威張る、、。
とにかく欲望の限りを尽くす。
働かず奪い合い、酔っている。



を見つめる

ヒトはそういう心の活動に
自発的に進んで行かなければ
」という存在になれない
のではないだろうか?


な〜〜に、そんなに、
難しい話ではありません。
1日が終わって、、、
夕飯食べたりお風呂に入って
お酒を飲んだり動画を見たり

その時、、、
心の中の自分が呟く。

さぁ、明日は子供が試合だ。
朝、5時にお弁当作って
駅まで送らなきゃ、、、。

生きるというのは、、、
そういう事とも、言える。


ワンちゃんの散歩、、、
雨の日でも、合羽を着せて、
ちょっとでも外に連れて行く。
ウチに来て、もう13年。
今は元気だけれど、、、
もう、歩き方もヨボヨボだ。
あと、2年、ぐらい、、、
たぶん、あと2年ぐらいしか
一緒に居れないんだね、、。

死ぬことへの意識は
そういう点にも顕れる。


生と死の疑念や不安は、
人生を不幸にします。
生きること死ぬことに
夢中になってしまうと、、、

何のための人生だか‼️


だから、病気は恐い。
病気になってしまうと
どうしたって「死」を考える。
「死ぬ」ことばかりに、、、
生活の意識が偏ってしまう。
あと5年、3年、、???
寛解すれば、まだ生きれる?

死を意識し過ぎて生きると
フォーカスしたときの
自分のやるべき事を見失う。
生きる中にあって、、、
私は何をすべきであるのか?
これを失ってしまうと、、、
人はヒトに逆戻りだわ!



要するに、、、
ヒトは15歳にもなれば
しっかりと「立志」をして
生きる意味を考えて、、、
死するという最期を学んで
人の道を歩まねばならない。

人の道で友と再会し
人と道で師匠に出逢い
人の道で異性と縁を結び
人はだんだんと人間になる。


生と死は、表裏一体であり
生の中に死があって、、、
死の向こうに生の続きがある

ここに大きな溝というか、
この2つが対立的で、、、
全く別世界と考えてしまうと
ろくな生き方にならない‼️


現代科学の世界においても
死後の人間存在の捉え方に
仏教の永遠思想と同種類の
分子レベルの永遠性を
認める科学も存在するらしい

人間存在は所謂、
不老不死ではないけれど、
遺体が火葬をされれば
骨をワザと残す時、、、
ご遺骨は何百年存在を続ける。
そして、火葬の際に出た、
その煙の中にこそ、、、

分子レベルの私が
次の宿木を求めて
この空を漂うのである

海にかえり、、、
山の木々に宿り、、、
風に乗って遠くへ行く、、、
分子の私は、、、
来世の自分の誕生まで
この世界で自由に遊んで
いつの日にか、、、
また、生まれて来る、、、



こういう事を考える


お釈迦さまの教えは
どうしたって必要です。


( ̄∀ ̄)