ゴミ屋敷の片付け動画とかって

けっこうYouTubeにあるでしょ?


あれ、けっこう見るんですよ、わたし。





こういうの。


片付けられる人からすると

有り得ないかもしれないんだけど


片付けが苦手な訳じゃなくて


精神的なことからこうなっていく

という感じが


めちゃくちゃわかる…


んですショボーン


わたしもちょっとズレたら


こうなると思う。


この動画を何故見るかって言うと


こんな状態になっても


怒らず

責めず


片付けてくれる人がいる


っていう安心感を得られるから



重症やん!



(世界は思っている何百倍も優しい)

LINEをね、


別の端末に移行したの。


別にトーク履歴とか、

過去の情報に縛られるのももういいやと思ってたのだけど


今日

もう会えない親友との

最後の会話もなくなっちゃってたことに気付いて


あ、

もう

消えちゃったのか…


って改めて……


記憶の中に残ってるから

別にいいかと思う気持ちと

寂しさと

半分半分


本当に必要で

残しておきたいものなんて

何一つ無いのかもしれないね


刹那的なわけでなく

今、ここを生きるって言う意味が

だんだんわかってきた気がする



 

最近良く耳にする言葉

「共通言語のあるコミュニティ」

 

すごく腑に落ちて思うことがあるのでこれについて書いてみますね。

 

共通言語を持っている。とは

まあ、共通の話題があるとか、共通の趣味があるとか、そう言った意味合いととれるでしょうか。

でも、私的にはちょっと違っていて、

共通の言語というと、共通の話題だけじゃなくもっと奥の、考え方とか文化とか、それも同じっていう意味合いにとらえています。

 

例えば、同じ趣味を持つコミュニティがあったとして

例えば例えば、それが編み物とします。(私が編み物好きなので 笑)

そのコミュニティで集まったとして、編み物のことでは会話はできるけど、

他の話題になった時に、考え方とか、その人の置かれている立場とか(専業主婦とキャリアウーマンとかね)が違うと全然会話にならなかったりしますよね。

それはそれで楽しめるのならいいのだけど、

やっぱり会話が成り立たなくてお互い気を使って疲れちゃう、みたいな。

 

なので、趣味だけが共通だったり、話題だけが共通だったりのコミュニティはあんまり魅力がない。

 

でも共通言語を持つコミュニティは、考え方が一緒の人と会話できるので単純に楽しい。

また会いたいと思えるし、会えば自分が成長する気がする。

 

共通言語を持つコミュニティはそういうニュアンスでとらえています。

 

そしてこれからは、そういうコミュニティの時代だと強く感じます。

 

私が作るコミュニティは、どんなコミュニティなのか。

 

そこを設計することが大切です。

 


 

 

 

泣いた。

 

 

私は、私の大好きな人を笑顔にしたい。

 

私の大好きな人が健康であってほしい。

 

だから食の大切さを伝えたい。

 

生きることが辛いって感じてる人に、ココロの世界を伝えたい。

 

一番、健康で、笑顔で生きてほしい人って

 

まず自分なんだ。

 

 

「どんなことがあっても、その人の存在を認める。あなたはそこにいていいと伝える」

まず自分が自分自身の一番の味方になることに本気になる。

 

自分を大切にしてこなかった人って

 

これがすごく難しいんですよね・・・

 

本気で、自分を大切にする。

 

それから、

 

自分の大好きな人も笑顔にする。

 

そしたらいつか、

 

それが仕事になってるんだ。

 

 

ほんと

 

世界は優しい。