見えないように
氣づかれないように
生きてきた。
もしこの言葉を聞いて、なぜか
「モヤモヤする」「ドキドキする」「ザワザワする」
そんな感覚があるなら、
それは責められるためではなく
本来のじぶんに還るためのサインなのかもしれません。
感謝と祈りの中で起きたこと
姫路は、男山で、この1年間の感謝を込めて
姫路中に響かせる氣持ちで
法螺貝を立てさせてもらいました。
その後、
男山八幡宮、千姫天満宮へと
いつものように、静かに祈りました。
そこで届いたのは、
とてもシンプルで、まっすぐなメッセージでした。
男山八幡宮さんでは、
“自分の人生に集中せよ
學ぶ喜び、磨く喜びを伝えていくがいい”
千姫天満宮さんでは、
“安心と安らぎの、美しい心で生きよ”
どれも、
外へ向かう言葉ではなく
内側へと還る言葉でした。
被害者意識が終わった瞬間
その後、2025年の恵方にあたる
高岳神社とその御旅所へお礼参りに向かいました。
参拝を終え、
磐座に感謝を伝え
御旅所へと歩き出した、その瞬間。
土地に足を踏み入れた途端、
左手の木々の落ち葉が
一斉に、ふわっと舞い落ちたんです。
まるで、
「もう大丈夫だよ」
と、氣を祓ってくれるかのように。
あとから、はっきりと分かりました。
ここで、被害者意識が終わりました。
磐長姫様という存在が教えてくれたこと
今回、強く感じていたのは
磐長姫様の氣配でした。
「醜い」と語られてきた存在・・・
けれど実はそれは、
醜いのではなく、「見えにくい」存在だったんです。
光があまりにも強く、まぶしすぎて
周囲には映らなかった存在。
霊的比重が高く、
本質を見抜いてしまうがゆえに
敬遠されてきた存在。
それでも磐長姫さんは、
悲しみの中でこう決めたと伝えられています。
人々に良縁を授け、愛を注ぐ存在として生きると✨️
自分自身との深い一致
この磐長姫さんの物語が、
最近氣づいた私自身のテーマと
驚くほど重なりました。
無意識に、男性から氣づかれないよう
存在を消して生きていたこと。
それは、
自分を守るためだった。
傷つかないためだった。
でも同時に、自分の光を
自分で隠していた生き方でもありました。
だから、
もう、私が私を蔑まない。
もう、自分で自分の価値を殺さない。
もう、「可哀想な私」を生きない。
もう、隠れない。
ありのままで、美しい存在として
“ひかり”そのものとして生きる。
読んでくれたあなたへ愛を込めて
もし、この文章を読みながら
胸の奥がじん…としたり、
ザワザワしたなら、それは
あなたの中にずっと在った“本当のひかり”が
「もう思い出していいよ」という
合図かもしれません。
被害者だった過去があってもいい。
傷ついた記憶があってもいい。
でも、そこに
ずっと留まらなくていい。
わたしたちはいつでも、
自分の人生の創造者に還ることができる。
隠してきた光を、
もう一度、自分の手で抱きしめる。
「ありのままの私で、生きていい」
その許可を出した瞬間から、
あなたの世界は確実に変わりはじめます。
この文章が、
あなた自身の光へ還る
小さな扉になりますように🕊️✨️




