円楽さん逝く | 茜沢ユメル(アカネザワユメル)のしずくCaf'e

茜沢ユメル(アカネザワユメル)のしずくCaf'e

シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ、映画監督、愚痴聞きカウンセラーの茜沢ユメルが、平和のシンボル「陽光桜」の活動について、さらには芸能界の裏話やアロマ占い等日常をカラフルに綴ります。

円楽さんのことを書かせてください。



日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーとしても有名な落語家三遊亭円楽さん(本名会泰通=あい・やすみち)が30日、肺がんのために72歳で亡くなりました。

2004年頃、文京区のシビックセンターに(当時は三遊亭楽太郎さんでした)円楽さんの落語独演会を何度か聞きに行きました。



円楽さんと同じ青山学院大の同期だというおじさまと音楽関係のみなさんと一緒でした。
公演後のお食事会で、その円楽さんの落語公演に前座で出演していた一番弟子の楽花生(らっかせい)さんともご一緒しました。



2005年に私ユメルが全国デビューする際に冠ラジオ番組を持つ話が持ち上がり、当時の事務所社長、故坂田社長と楽花生さんをユメルサポートのパーソナリティーとしてスカウトするために再びシビックセンターでの円楽さんの独演会に伺いました。



楽花生さんとのラジオ番組「茜沢ユメルのキラキラVoice」は約半年間やらせていただきました。

それから、次に円楽さんを直接見たのは、
2019年頃です。
新宿三丁目の末広亭で行われた落語公演に山田邦子さんが出演されるとのことで伺った際に、円楽さんも出演されていて運良く円楽さんの落語を直接聴くことができました。



それから、円楽さんの元お弟子さんで有名な伊集院光さん。私ユメルは学生時代から実は、伊集院光さんのラジオの大ファン、リスナー客でした。
地元香川に来てくれた時は楽屋まで追っかけやっていたほどでした。
直接交流はなくとも、私ユメルにとっては素敵な縁をくれた方でしたから、「笑点」はいつも楽しく拝見していました。



まだお若いのに、早すぎますね、悲しいです。🥲まだまだ活躍してほしかったです。
円楽さんのご冥福をお祈りします。



◆三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)本名会泰通。1950年(昭25)2月8日、東京生まれ。青学大法学部在学中の70年、5代目三遊亭圓楽さんの目にとまり入門、楽太郎を名乗る。前座修業をしながら大学を卒業。76年に二つ目昇進。77年に日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバー。81年に真打ち昇進。2010年、6代目円楽襲名。「博多・天神落語まつり」「さっぽろ落語まつり」などプロデュース。16年に得度。受賞は、79年に放送演芸大賞最優秀ホープ賞、81年ににっかん飛切落語会努力賞など。ゲートボール歴が長く、日本ゲートボール連合アドバイザーとして大会プロデュースも。