2012.3.18 ウィル・タケット×首藤康之 『鶴』 | 日々のカンゲ記 ふろむパリ→トーキョー

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日々の感激と観劇のきろく。パリ生活のこと。

演出・振付/ウィル・タケット
出演/首藤康之、クリストファー・マーニー、キャメロン・マクミラン、ナオミ・コビー、ヌーノ・シルバ、後藤和雄
尺八演奏/藤原道山
ナレーター/ユアン・ワードロップ

[スタッフ]
台本/アラスデア・ミドルトン
翻訳/常田景子
音楽/藤原道山、ポール・イングリッシュビー
美術/ボーカー・ジョンソン
人形デザイン/トビー・オリー
衣装/ワダエミ


KAAT神奈川芸術劇場オープニング1周年公演、NIPPON文学シリーズ第2弾として、日本民話“鶴の恩返し”より『鶴』を観てきました。

私が日本人で一番好きなダンサー、首藤康之さん。舞台を観るのは久しぶりです。
今回、前から4列目という席だったので、ダンサーの表情から細かい足先や手先の動き、衣装のディティールまでよく見ることができました。

日本人ならば誰でも知っている古典文学「鶴の恩返し」を舞台化したものですが、ただのコンテンポラリーダンスではなく、舞台美術、装置、照明、衣装、音楽、詩(語り部が詩的な言葉を話しながら進行してゆく)振り付け、すべてを総合して、ひとつの舞台芸術としてとてもまとまっており、すべての要素が同じ位重要に調和しておりとても素晴らしい舞台を作り上げていました。


日本のものを外国人が表現すると、時として違った表現になりやすいのですが、今回は英国人であるウィルやその他のダンサー、演出家と、首藤さんはじめ日本のスタッフがとても良いバランスでそれぞれの文化、価値観、芸術性を融合しており、素晴らしいケミストリーが生まれていました。
制作を進めて行く段階で、とても良い信頼関係とパートナーシップがあったことが伺えます。

ーあらすじ&感想ー

「鶴の恩返し」というと、自己犠牲の話であり、とても日本的な価値観の話だと思うのですが、そこを英国人であるウィルの解釈を入れることにより、こんなにも深い物語であるのだ、ということに気がつかされました。


唯一原作と違う設定は、主人公が老夫婦から、子供に恵まれない若い夫婦という設定。
子供に恵まれなく、貧しい夫婦。お互いに愛し合い、子供を望みながらも恵まれない先の見えない貧しい生活に、夫婦関係も微妙な緊張感や寂しさが漂う。
そこに夫が助けた鶴が少女となって現れる。夫婦は「この子は私達の娘!」と喜びます。
前半の微妙な夫婦関係の時の緊迫感のあるダンス表現から鶴乙女が来てからの希望に満ちあふれ、夫婦の仲もうまく行き始めるダンスの表現。
心境の変化による繊細なダンスや表情の変化がとても素晴らしかった!

そこから鶴乙女は美しい布を作り上げます。
「決して扉は空けないでください」と告げて。

布を見た隣人の村人達が、「布を譲ってくれ」と言う。夫婦はお金欲しさに布を売る。

慎ましやかな生活から、人間には誰でもある欲望や浅ましさ、色々な感情が表現される。
そしてついに娘との”約束”を破って扉を空けてしまう。

...そこには自分の羽をむしり、自分の血で布を染めてぼろぼろになった娘が現れる。

そして娘は鶴に戻り、夫婦のもとから去ってしまう....


とてもシンプルなお話ですが、この物語の中には、人間ならば誰もが持っている様々な感情や欲望、希望、成長...実に様々な感情があるお話であるということがわかりました。

そのひとつひとつの変化や感情を、ダンスや舞台演出、音楽、衣装、詩..すべての要素から丁寧に表現されていました。

私はこの物語は、最終的に約束を破ることにより大切なものが手元がらなくなってしまう”喪失”の話であると思っていたのですが、実はそうではなく、ある種の"希望"の物語なのではないだろうかと今回の舞台を見て感じました。

娘が現れたことにより、"希望"を見いだせた夫婦、娘もまた夫婦に愛され、とても幸せな時間を過ごした。
その夫婦の為に自分の身を削って"希望"の布を織る。
最後は別れが訪れますが、愛は決して自己犠牲の上だけに成り立つわけではない、という事を夫婦も娘も学び、"成長"のもとの巣立ちだと思いました。

今まで”鶴の恩返し”についてこんなに思考を凝らしたことがなかったので、私自身にとっても学びが多い舞台でした。


演出面で言うと、屏風に見立てた数枚の白いつい立てが、時に屏風になり舞台後ろから映し出される
ライトによって、その場面ごとに影絵を映し出します。
抽象的な背景としての鳥の羽や、娘が布を紡いでいる時は娘が機を織るシルエット...という様に。


そして鶴のパペットをダンサーが操り、まるで本物の鶴のようなムーヴメントを織りなしている所も素晴らしかったです。
パペットの鶴と首藤さんの絡みが、本当に鶴と対話をしているようで、初めは人間を恐れる鶴のしぐさから、信頼できる人間だとわかり始めるしぐさまで...
それでも、それを操る3人のダンサーが完全に黒子な訳ではなく、ダンサーの動きがあるからこその鶴の動きを表現している所に本当に感動しました。

舞台上部から何本ものロープが張り巡らされており、それを機織り機に見立てロープを使って美しい形を作り出したり、影絵として美しい絵を表現したり、と舞台美術と照明、演出も素晴らしくとても調和がとれていました。


また、ワダエミ先生の衣装とテキスタイルも素晴らしかったです。
鶴乙女が織った布として舞台上部から下がってくる大きなタペストリーも、基本的には和の物ながらも、バレエという西洋の物と古典文学でありながらコンテンポラリーダンスという相反した作品においてどちらの要素も融合したとても新しく美しいものでした。
特に、鶴がパペットの鶴から人間のダンサーに変わった時に半分はパペットの鶴がついている衣装から、機を織るごとに変化してゆく衣装、最後は胸ぼろぼろになり、胸から血を流しているかの用な衣装、物語が進んでいくに連れての衣装の変化も見物でした。

音楽は英国人のミュージシャンと、日本の藤原道山さんとのコラボレーション、藤原道山さんは舞台の初めから語り部と共に舞台上に常にいて尺八を吹いていました。


ダンスの動き的な所で言うと、首藤さんはクラシック出身ダンサーということもあり、首藤さんのソロパートはクラシック的なムーヴメント、その他のダンサーはもっとコンテンポラリーダンス的なムーヴメントですが、そこもとてもよく調和していました。
キャメロン・マクミラン、彼のダンスを他のものも観てみたいと思いました。

それぞれが素晴らしく、どれかが突出して目立ちすぎるということは決してありませんでした。
ダンサーもみな一流の素晴らしいダンサーばかりなのですが、それでも誰かが際立つという感じではなく、それぞれが力を発揮しながらも調和している、というダンスの舞台としては少し不思議な感じの印象すら受けました。

何一つ欠けても、妥協しても、言葉も文化も価値観も違う色々なアーティストが集まって、これほどの素晴らしいケミストリーを生み出すことはできなかったであろうというのが今回の一番強く感じたことでした。


自分はダンサーではないけれど、自分の仕事や生活にもそれはあてはまること。
私も仕事、生活において素晴らしいケミストリーを生み出していきたい、そう思える本日の舞台鑑賞でした。

「鶴」に主演の首藤康之氏が、平成23年度の文化庁芸術選奨・舞踊部門の文部科学大臣賞を受賞