平取町に住む高齢者から昔の話を聴き取る活動を始めて3年になります。

農家、主婦、団体職員…… 12人の仲間です。

第三集には、昭和3年から6年生まれの38人の声が収められています。

物心ついた時には戦争一色の世の中になっていました。

親に連れられ満州や樺太から引き揚げて北海道に住み始めた人や、

大空襲で焼け野原になった東京から開拓団として北海道にやってきた人や……

聴きながら涙が止まらない時もありました。

文字起こしの作業に苦労しました。何しろアマチュアですから……

プリントして、仕分けて、製本して…

四苦八苦で作り上げ、聞き取った人に届けて……

誇らしげに嬉しそうに読む姿を見ると、疲れが飛びました。

今年もきっと笑顔に出会えます。

 

 

 

 

「親が勝手に決めた結婚なの」

親と旦那さんの悪口を延々と述べる人がいました。

結婚して40年近く経っている方でした。

こうしたかったのに、ああしたかったのに、させてくれなかった…

ああ言われたから、こう言われたから…

こんなはずじゃなかった私の人生……

 

生まれるまでさかのぼってもきっと納得しないのだろうなぁと思ったのを覚えています。

 

親のせい、旦那のせい、上司のせい、友達のせい……

誰かのせいにする、他人(ひと)のせいにする事で自分を納得させる…

それが癖(くせ)になっている人が少なくありません。

誰かを悪者にしようというよりは、私は悪くないと主張したいのでしょう。

 

その癖がもたらす大きなマイナス要因は…

「せい」にされた人は嬉しいはずなどなくて…

静かに去って行く。心を開かないうわべだけのつきあいになっていく…

本人が気づかないまま… 

なぜなら本人は、私は悪くないの言い訳作りの方が大事だから…

 

癖を見つめなおしてみましょう。

悪気が無い所に悪いは発生しないのですから、

私は悪く無い=誰も悪く無い

誰にもジャッジ(裁く)の権利はない=裁かなくて良い。

 

私は、細々ですがお客さまを泊めています。

立腹される場面も出てきます。

「私が悪うございました、ごめんなさい」

とは決して言いません。

「腹を立てさせてしまってごめんなさい」

と言います。

たいていの場合は「あ」とボルテージが下がります。

 

どっちが悪いが発生するのは、もっと後のこと。

最初のひと言にどんな気持ちを込めるかで変わって来ることも多々あります。

 

「自分の機嫌は自分で取る」

ピンチになっても、パニックになっても、

断崖絶壁に立っても、四面楚歌になっても、

自分を救う魔法の呪文だと思います。

この呪文を唱えていれば…

とっさの時であっても、保身のための不用意な言葉を吐かなくて済むのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が住んでいるのは人口20人のお店もバスもない地域です。買い物、役所、郵便局… ぜ〜んぶ車で18分走った振内(ふれない)に出ます。

ふれないと発音できる外部の人はほぼいなくて、たいてい、「ふりうち」となります。

 

振内のお姉さんたちは抜群に元気です。

80代後半がスイスイ自転車に乗り、趣味も多彩… 身のこなしも軽やか… スーパー揃いです。

 

自分の体は自分で守る… 新たな活動が始まります。ちょっとたいぎ…のその後が肝心❣️

だから止めるか、それでもやってみるか…

その積み重ねが大きな差を生みます。