1年かかった
自分の気持ちをドイツ語で言うことに
これやりたいって言うのに
NOって言うのに
ありがとうって素直に言うのに
1年かかった
どんな仕事も大事なんだって気づくのに
自分がやってきた仕事に誇りを持つことに
es hat einjahre gedauert
1年経って やっと分かってきた
やっとNOが言えるようになった
Ja Ja (Yes Yes)って言って4月からやってきたけど
何がなんだか分からなくて 毎日仕事こなすのに精一杯で
がむしゃらに突っ走ってきたけど
今やっと
旅行から帰ってきて
見えてるものがある
私はやっぱこの農場が大好き
旅行から帰ってきて はじめにKatharinaに会った
そしたら
「AKI-wir haben dich vermisst!!」
(AKIがいなくて私たちさみしかったのよー」
って言ってハグしてくれた
今までだって
セミナーや休暇で1週間いなくなることあったのに
こんなこと言ってくれたの初めてで
びっくりした
「AKIがいないと笑い声がないし
野菜詰め合わせの仕事してくれるのはAKIだったし
Gutenmorgen!!もないし」
(Gutenmorgenは、おはよう の意味で、私の言い方がおもしろいらしくて
Katharinaはいつもまねしてくる)
わたしは恥ずかしくて
「うそだー」
と言って平然を装ってじゃがいもをかき集めてたけど
ほんとは すっごく すっごく 嬉しかった
研修最終日の土曜日
研修生最後の日にはFrankが研修生に対して
一言”ありがとう”的な言葉を言って
研修生もなにか言う
っていうのがお決まり
だったんだけど
私の最後の日は朝からなんと びっくり仰天の 雪
+Frank体調悪くて朝食に現れず
+Kathartinaも風邪引いてた
+3月から土曜日はチーム制になってて来てる人いつもの半分
しかも注文もすごく少なくて仕事は9時半に終わっちゃって
しかも最後の仕事は雪かきだったし
あれ??あれれれ??
こんなの
思てたんと ちがうー!!
って感じで終わっちゃって
まったく納得も満足もできなかった最終日
を終えてEmmerichへ私は出かけたのでした
(Emmerichはキクが研修してる農場)
20時にDusseldorfでみっちーと待ち合わせ
みっちーは私と同じDemeter野菜農家で研修していたから
いつもお互い愚痴や悩みや喜びを分かち合っていた
(いや、愚痴ってたの私だけかな?いつもありがとう、みっち-☆)
みっちーも土曜日が研修最後の日だったから
「終わったねー頑張ったねー」
ってお互い健闘をたたえあって
抱き合えると思ってうっすら涙を浮かべて
私を待っちゃってたらしいみっちー
そんな気も知らないで私は
最後の日どうだった?と聞かれて
「それがさー。納得できてないんだよねー」
と腕を組みながら
べらべらべらーー
と、また愚痴りまくる
みっちーのうっすら涙は 乾ききってしまったよね
ごめんね 笑
12月から私の仕事はいっつも
”野菜詰め合わせの袋詰め”
だった
Gemusesuppe
(野菜袋)
という名の仕事で、一等品で売れなくなった野菜たち
(傷がちょっと付いている等の理由)
をナイフで傷をとって新しく蘇らせ、数種類の野菜を一つの袋に
一袋1キロになるように詰める
という仕事
これを1日に30袋 多いときは100袋作る
さむーーーーーーーい中
汚い野菜をもくもくと切り
さむーーーーーーーい中
野菜をもくもくと洗い
さむーーーーーーーい中
野菜をもくもくと詰める
という畑仕事と係りなしの仕事だったから
私はもう
どよーーーーーーーん
みんなとハウスで仕事したいのに
わたしはいつも野菜洗うところで
袖、びしょびしょになりながら
一人で 仕事してた
しかも
それが終わったらKiestewaschen(出荷用の箱洗い)
の仕事が待ってて
これもまた一人でびしょびしょになりながらの作業
私はいつの日からか
仕事が嫌になってた
一人で仕事してると色んなこと考えちゃうし
冬だし
お天気も悪いし
雪だし
寒いし
仕事も楽しくないし
もう どん底だった
いま思えば
研修最後の週
午後の話し合いのときに
Katharinaに
「AKI 午後もあの野菜引き続き洗いたい?」
って言われて私は
「ich will nicht ader ich kann machen ja」
(やりたくないけど私できるよ)
って言った
初めてだった
初めてわたしはこのときKatharinaの言ったことに
やりたくない と言った
何言われてもJaって言ってきたのに
最後の週にNOって言った
それを聞いてFrankもみんなも笑ってた
で、あとからHafsiに
「聞いた?!わたし初めてやりたくないって言っちゃったんだけどー!!」
ってすごいでしょ みたいに言ったら
「あの言葉は 100パーセント間違いだったね
一人じゃ無理だから助けが必要 とか もっと言い方があっただろう」
って言われて
私は
今までJaって言って仕事してきたこと あの一言で
すべてを壊してしまったんだな
と思って涙がボロボロでてきた
いつの日からか
やりたくない仕事ができてしまってて
その仕事をきらいになってて
研修生の分際でそんなこと言ってしまって
そう。色々考えた。
で、そんな中で研修最後の日がやってきて
誰にも労をねぎらうことをしてもらえず
まあ、みんな私が旅行すぐ終わらせて帰って来るの知ってた
からなんだと思うけどさ。
けど、もう納得いかなっかたよねー。うん。
だって誰にも頑張ったね って言ってもらえなかったんだよ
いま思っても悲しい。
私はただ、Frankに”ありがとう”っていってもらいたいの。
これって我がまま??
で、今日は土曜日だったんだけど
朝から働いてみた。もう一回。
Juliaと野菜袋作ってその後ハウスでZinien(花)
の苗の植え替えの仕事
月曜日も働く。もう一回。
多分、何回働いても満足できないんだと思う。
だって、働くたびに新しい発見があって、新しいことを
習えて、みんなが話す新しいドイツ語が耳から入ってくるんだもん。
けど1年ここに住んで1年ここで働いたから
KatharinaはAKIがいなくて寂しかったーっていってくれたし
1年いたからこうやって好きなときに自由に仕事に顔出せるし
仕事の進み方が分かるし みんなの話すドイツ語もやっと理解できるし
1年いたから
1年かかって築きあげたものがある
目にはみえないけど
だからさ
日本帰ってドイツ語忘れちゃうのってほんとに
もったいないと思う
できれば
もう一回ドイツ来たいよ
旅行じゃなくてさ
でも今は
満足して帰れそうな気がするの
だって やっと分かった
野菜詰めの仕事も箱洗う仕事も
畑仕事じゃないけど
大事だってこと。
どの仕事も大事なんだよね。
箱洗う人がいるから野菜入れて出荷できるし。
私は人が嫌がる仕事も進んでやってきた。
自分で進んで寒い中冷たい水の中に手を突っ込んだし、
楽な方へ逃げたりしなっかった。と思う。
いつだって早くできる方法を考えながらやってたし
これは、4月から言われてることだけど
「もうちょっと 考えてからやれ!!」
Du musst einbisschen・・・
(君はもうちょっと・・・しなければならない)
って言われて私はいつも
denken
(考える)
って答えなきゃいけなかった
そう。何するにもまず、どうやったら上手くいくか考えて、
周り見て、gut idee 良いアイディアを見つけなきゃいけなかった
頭よくて要領よくないと有機農業なんかできない
みっちーも言ってたけど
土に冬が必要なように
人間にも冬が必要なんだって
冬に栄養を蓄えて
夏にたくさんの花を咲かせるために
私もそう思うよ。
冬も必要だったって。
こーーーんなに自然を意識して生きた1年なかった。
もっとシンプルに人間って生きれるんだって分かった
よくわかんないけど
すっごく今は、みんなと良いお別れができる気がするの。
この人嫌い、いなくなっちゃえばいいのに って
仕事もプライベートの時間も24時間ずっと一緒だった中に生きて
人を憎む自分の汚い心に出会うこともあったけど
その中で生きたし今は居てくれてありがとうって心から思える
1年でこんだけドイツ語頑張った自分には満足!
あとは、肝心の仕事だな。
もうちょっとみんなの側で仕事したい。
仕事した証を残して帰りたい。
みんなはまだ旅行してるよね。
一番労働時間が短かった私が満足できずに農場に残ってるって
あははーだね。Selber schuld
明日は日曜日。
晴れるといいな。