もう いつ天国に逝ってもおかしくない母の所に、ほぼ毎日通い、(ほんまに道中は暑い) そして仕事も8月お盆明けから再開している。
もう 老体と虚弱体質の体の両方に鞭を打ちながら、頑張っている
頭の中 心の中(?)では、いつも 「ファイト!」や「がんばれ!」の歌詞が入っている歌が鳴っている。 そして、時には、実際に歌っている。
中島みゆきの「ファイト!」は、もちろんのこと
井上陽水の「東へ西へ」は、途中の歌詞の「がんばれ、みんながんばれ・・・♪~」のところが好きで、家でよく歌っている。 (この曲 ご存知ない方は、ごめんなさい。)
いつもの如く、「東へ西へ」を歌っていた。
「昼寝をすれば、夜中に眠れないのはどういう訳だ~♪」とあかねが歌う。
なぜか、旦那の怒鳴り声が聞こえてきた。
「そんなもん知るか!!!」
「これ、歌やん。 井上陽水の歌。 あんた知らんの? 別にあんたに理由を聞いてるのと違うんやで」
「歌は、知ってるわい! 下手過ぎて そんなもん歌に聞こえるか!!」と 少しバツが悪そうな旦那の返答。
この人といるとほんまに疲れる
あと、ポルノグラフィティの「サウダージ」も曲調と出だしの歌詞が好き。「私は私と はくれるわけにはいかないから・・・♪」 などなど。
さて、母の備忘録。 4月18日から入居した今の新しい施設。 1日1本500mlの水分だけの点滴と、三食のゼリー食で、落ち着いてきたのだけど、 やはり もう認知症の末期。
飲み込むことさえできなくなって、 7月9日から 口からの摂取は無くなり、 点滴オンリーになった
そんな中、 8月2日の仕事中に看護師さんから連絡があり、
血圧が70を切り、 高熱も出てきたので、すぐに来てほしいということで・・・
行ってみると、 すぐに今晩は泊まって下さいと、1階の家族の部屋の鍵を渡されて、 しばらく 母に付き添い、 面会予約など関係なしに、ずっと母の傍にいることになった。
点滴だけで、1.9ヶ月~3ヶ月の余命が平均とかネットに書いてあったが、案外 早かったとか 思っていたら、 5日めに熱が下がり、血圧も安定してきて、 元の母に戻った。
その間、遺影の写真を選んだり、葬儀屋さんに何度も電話で尋ねたり、少し予行演習的なことができたことは、プラスに考えられるが、緊張がゆるん瞬間 どっと疲れが襲ってきた
そして、新たな緊張と共に 今に至っている。
長男の東京行きの寂しさも加わってしまったから、 結構、心身共に 堪えている
備忘録って、数年後に見ると、案外便利。 母の最後の発語から7年ほど経っているように思う。 その後、私のいう事に目で応えてくれてたりしたが、コロナ禍の2年前だったかなぁ~? 脳梗塞で入院したはずが、てんかんにもなっていることがわかり、その入院から 目も開けなくなった。
てんかんの薬がきついのか思い、訪問医に尋ねたが、量を減らすのには、また別の病院(結構遠かった)で、再度入院して確かめないといけないなど言われて、もう私の身体も過労の粋を超えていたので、それは諦めた。 本当の訪問医は、脳疾患が専門の方だったが、少し前に突然急死されていて、雇われ医院長だった。 運が悪いとしか言いようがない。
その後、誤嚥性肺炎を2回起こしたが、復活。
そして今に至っている。
どんな時も携帯を離さず、ドキドキしながら、過ごしている
大昔(笑)の記事に書いたが、 母の手紙が見つかり、 あちらの世界に旅立つ時に着せてほしいと書かれていた着物も用意できている。 生前法名(浄土真宗)ももらってくれている。 美しい名前で、私は気に入っている。
とにかく、「がんばれ!!!」なのだ
私も母も
(お借りしました)
おわります。