第56話 出雲大社と熊野大社の関係

 
2012/05/07 11:15:545


私の疑問から明らかになったお話を続けます。


大国主神様をお祀りしている出雲大社では、大きな行事をするときに、
熊野大社から忌火(いんび‥木と木を摺り合せて起こす清らかな火)を頂いてから行うと言われています。

「忌火なら、出雲大社でも起こせるだろうに、なぜだろう」というのが、私の疑問でした。
一般に熊野大社と言いますと、紀州を思い出されると思いますが、
出雲にも、八束郡八雲村、今は松江市八雲町にもあるのです。

そこで、出雲大社にも熊野大社にも「なぜですか」とうかがったのですが、
どちらも「昔からの古い古い伝統でそうしているのです」というお返事で、
理由については一切お答えがありませんでした。

自分の興味だけで神様にお伺いすることは致しませんが、
「神社に伺っても、理由は分りませんでしたので、お教え願えませんでしょうか」と、改めてお伺いすると、
次のようなことを教えて頂いたのです。


これは「因幡の白兎」の話の中にヒントがありました。
そして熊野大社、昔から熊野権現と呼ばれていることに大事な意味が隠されていたのです。
それをお話ししたいと思います。


皆さんは、因幡の白兎の話をご存じでしょうか。
ほとんどの方は子供の頃に呼んだ、
日本神話などにも出て来ますので、
ご存じの方が多いと思いますが、簡単にご紹介します。

「だいこくさま」という唱歌の中に
「大きな袋を肩に掛け」と大国主神様(別名 だいこくさま)が歌われていますが、
それは大国主神様の大勢のお兄様が、
因幡の八上比売(やかみひめ)をお嫁様にしたいと出かけられた時に、
お兄さん達のたくさんの荷物を大国主神様お一人で担いで後から歩いて行ったときの姿です。
 
お兄さん達が、気多の岬にさしかかったとき、
皮を剥かれて、丸裸になった兎が横たわっていました。
お兄さん達は、それを見て
「海水を浴びて、山の頂に横たわり、風に吹かれると良い。そうすると良くなるぞ」と口々に兎に言いました。
兎がそのようにすると、
海水が乾くに従って、痛みが治まるどころか、皮膚が風に吹かれてひび割れて、
ますます痛みがひどくなり、もがき苦しんで泣き伏していたところに、
大国主神様が通りかかりました。

大国主神は、兎に「どうしてそんな姿になったのだ」と尋ねると、
兎はこう話しました。

「私は、於岐(おき)の島にいて、この本土に渡りたいと望みましたが、渡る手立てがありませんでした。

そこで海の鮫を騙して海を渡ってやろうと考え、鮫たちに向って
『私達兎の仲間と、あなたたち鮫の仲間の、どちらの同族が多いかくらべっこをしよう。
お前は同族のありったけを連れてきて、
この島から向こう岸の気多の岬までずらり伏し並べたら、
私がその上を踏んで、走りながら数えてあげる。
そうしてどちらが多いかを知ることにしよう』と言ったところ、
鮫はそれを信じてずらりと並びましたので、
私はその上を踏んで数えながら渡ってきて、
対岸(本土)に渡ることが出来ました。

そして地上に降りようとした時に、
つい口が滑って、鮫たちに
『やーい、お前たちは騙されたのだ』と言ってしまったのです。
その瞬間に一番端にいた鮫に私は捕えられて、
すっかり私の毛皮を剥ぎ取られてしまったのです」と事情を話しました。

苦しんでいたところを、先に行きました大勢の神々が
『海水を浴び風に当たって横たわっておれ』と言われたので、そのように致しましたところ、私の身体の痛みは益々ひどくなってしまいました」と申し上げたのです。

これを聞いた大国主神は、
「そんなことをしたら痛むに決まっている。
今すぐに河口に行き、真水で身体を洗い、
そのままその河口の蒲の穂を取って敷き、その上に寝ていてごらん。
すると蒲の花粉が身体について傷はふさがり、
そっと寝ていれば元の皮膚のようにきっと治るだろう」と教え、
兎がその教えの通りにしたところ、
兎の身体は元通りになりました。
これが因幡の白兎のお話です。


この兎は大国主神に、
「大勢の兄弟の神々は、きっと八上比売を妻に得られすまい。
袋を負って卑しい役目をしておられますが、
あなた様が必ず得られるでしょう」と申し上げました。

八上比売は、求婚に来た兄弟の神々に、
「私はあなた方のいうことは聞きません。
大国主神と結婚しましょう」と言ったので、
これを聞いた兄弟の神々は怒って、
大国主神を殺そう」とみんなで相談して、
伯耆の国の手間山の麓に大国主神を連れて行き、
「この山に赤い猪がいる。
それをわれわれが追い落とすから、
お前は下でそれを待ち構えて捕まえろ。
もしも捕まえ損なったら、
お前を殺してしまうぞ」と言い、
山の上から、猪に似た大きな石を火で真っ赤に焼いて転がり落としました。

大国主神がそれを捕まえようと抱き留めると、
真っ赤に焼けた石にたちまち身体を焼かれて死んでしまいました。
この話を聞いて、
母親の刺国若比売(さしくにわかひめ)は泣き悲しみ、なんとか息子を助けたいと、
高天原に上がって行って、
神産巣日神(かみむすびのかみ)にお願いしました。

神産巣日神(かみむすびのかみ)は、
すぐにきさ貝比売とうむぎ比売を呼んで、
大国主神のもとに派遣し、治療に当たったところ、大国主神は復活しました。

きさ貝比売とは、
赤貝を人態化したお名前です。
蛤貝(うむぎ)比売とは、
蛤を人態化したお名前のことです。
この二人の比売神は神魂神(かむむすびのかみ)様のお子様で、
近くに神魂(かもす)神社があります。

その時の様子は、
きさ貝比売が赤貝の貝殻を削り落として粉を集め、
蛤貝比売がその粉の集まるのを待って受け取り、
蛤の汁を溶いて母親の乳のようにして火傷の部分に塗ったところ、
大国主神は、再び立派な男性として出歩くようになりました。

一般に、熊野大社というとご祭神は、
スサノオノミコト様だと思われていますが、
熊野大社は、「熊野権現」とも呼ばれています。

「権現」の「権」とは、
「仮の」という意味でもあります。
ですから「権現」とは、
「仮に現れる」ということを意味しています。

つまりスサノオノミコト様の他に、
まだ表に出ておられない尊い神様がいらっしゃるということです。
この事については、「熊野権現の謎」として、
別の機会にお話ししたいと思いますが、
ここでは大国主の神様がお命を救われた神産巣日神様が、
熊野大社にはいらっしゃるということにとどめておきたいと思います。

こうしたことから、大国主神様は、
ご自分の大御祭りを行うときには、
まず神産巣日神様のいらっしゃる熊野大社から忌火をいただくようにされたのです。
火とは、霊魂の『霊(ひ)』ということにも通じます。
そしてご恩になったことを、
いつまでも忘れることなく、
今の世にも伝えておられるのです。

出雲の熊野大社では、
この儀式を亀太夫神事として、
出雲の神主さんにさんざん威張り散らして渡す儀式であるように伝わっていますが、
本来の意味とはかなり異なることではないかと思います。


神道へのいざないブログ