「 難しいコトは言わぬ 」

何事も

難しいコトと捉えるはそなたの心

悩んだ時は

よりシンプルに考えよ


今必要なメッセージ

ここにシェアさせていただきます黄色い花m(_ _)m黄色い花



あなた方が、
もし悟りということを極めていきたいのならば
難しい学問をすることも大切かもしれないけれども
今これからレムリアで説かれていくことを通して
ひじょうに簡単に到達していくのならば
愛が何であるか愛を難しい理論で語る時代は終わり
それを今度は感性の中により、
自分の自らの感性を通して
自らの内側にある愛一元の、
神の子の思いの
光の天使と呼ばれている光そのものの、
神の子の部分を通して愛を学び
神の子になっていくという、
その道を通して悟っていくというー。


これからはそのような悟り方、
そのような修行の仕方を通していくほうが
もしレムリアを手本とし
レムリアを通して学びながら自分を進歩させたいと思うのならば
そのような手段のほうが、
私は少しでも高みに行けるのではないかと思います。


けっして、高く登ることだけがすべてではないけれども
やはり向上心というものも大事ではあります。

自らを少しでも、
昨日の自分よりも一歩でも、
今日があり、明日の自分が一歩でも
今日の自分より進歩し、
多く人びとの幸せのために
貢献できる自分として成長したいと思うことは、素晴らしいことであります。


ですから、
悟りということを通さずとも、
自らの進歩を通し
他者への愛のために貢献し、
奉仕してくというその愛の姿、
原理そのものを通して
この感性というものを通したレムリアの教えの中で
あなた方は学び、神の子に戻っていき
愛の神そのものの懐に抱かれ包まれていくという
そのような道も、
今回のレムリアの霊言を学んでいく
過程の延長にあるのだということを申し上げておきましょう。


ですから、
たいへん易しい言葉で、
一般的な語り口調で
この方の口調を通して語られるのがレムリアの教えであるかもしれません。

でも、一人ひとりが、
その学んだことを自らの魂の中に照らし合わせ
自分自身の神の子としての神性をどれだけ解放できたかが
逆にいうと今世の最終決算の修行の課題でもあります。


そして、
それを光り輝かせた光の量、
愛の量を通して、社会をどれだけ改革し
どれだけ愛の光を発信することによって、
多くの人びとの心を通し
社会を変えていくことがまた可能になったかということをもって
愛の実践がどれだけあなた方の人生の中でできたかということを
また問われる行動の原理にもなるのです。


ですから、
思いにおいて、
魂において、
どれだけ口先で言い訳をしても
その方の魂を見て真っ黒であるのならば
どれだけ口先で、一生懸命、言い訳をしたとしても
その言い訳は天上界に帰って来て通用しないのです。


一生懸命言い訳をする方たちのことを見ていても
そのように反省できぬ思いの中で、
自分を守るために、
一生懸命塗り固めたとて
その真っ黒な心では我々の世界へは帰って来られないよとー


ほんとうに神が愛深き平等であるのなら、
私たちはなぜ如来界に
なぜ私たちを九次元のところに入れてくれないのか。

それは神に愛がないからではないか。

そのようにごねているのと同じように思うのです。


段階があって、
上にいるから偉いのではなく
ただ学んでいないから、
学ぶ必要があるから
今あなたは、
あなたの位置において学んでいらっしゃいと言っているだけなのです。


すべての苦しみも、
悲しみも孤独も、
すべてが愛を学んでいき
自らの愛の神性に気づくために、
すべての時はあります。

学びはあります。


それを、今学べる、
ありがたい素晴らしい時代を、
素晴らしい時代精神の中に
あなた方は、今肉を持ち、
地上で修行されておられるこの時ということを
感謝し、
無駄にせずに、
この数十年の地上での修行を終えられ
帰って来ていただきたいと思います。


私はこれからもレムリアを指導し
これからもレムリアにおける、
ルネッサンスの時代精神として
次の時代にかけてもあなた方を善導していきたいと
指導していきたいというふうに望んでおります。


ですから、
これからもあなた方の要請があれば喜んでこのように参ります。

ですから、どうか、
私もひじょうに近い縁があるものでございますから
いつでもお呼びいただけたらと思います。


愛深き神の子たちよ。

神の本源に戻るために、さあ、愛の旋律を奏でましょう。

難しき言葉は何も生まず、
難しき言葉により人びとが救われるのではない。


ただただ深い愛と、
分かち合いと、
調和の精神により地球は救われ
愛の星として輝かん。


人びとよ。


もう一度、神の懐の中に、
愛深き神の愛の慈悲の中に
今一度、手を携え、
手を取り合い、戻りましょう。


私は次の時代にかけ、
あなた方にこの教えを、感性を通し
語り伝えていきたいと思います。


では、今日は、
これにて失礼させていただきます。

ありがとうございました。

(2005.6.16 レムリア・ルネッサンス)