自らを赦し愛した者でなければ

他者を赦し愛することは出来ぬ


ミカエルからのメッセージを

シェアさせていただきます宝石ブルーm(__)m宝石ブルー



愛というものは、実践行為を伴っていないところに愛などはないということ。

愛を抜いて神に近づく道はないということ。


自らが神の子であるということを、高橋信次、エル・ランティにより知らされた。

それはどういうことかというと
自ら愛の階段を上り、愛の表現体として生きていきなさいということ。

であるのならば、愛というのは絵に描いた餅ではなくて、愛は実践を伴って
生きざまを通してのみ愛というのは語られていくのだと。

愛の実践行為をもってのみ、あなた方は神の子として評価されるのであるのだと。

そのことをあなた方は認識しなくてはいけないのです。


火の上を歩いたからといって、空中浮遊をしたからといって
ヨガをやったからといって、仏教の行をたくさんやったからといって
それが何になりましょうか。


そのようなことをもって、自らが深く神の子として神と対峙し
神へ向かって歩みたいという思いを育てるという意味においては
意味があったのかもしれない。


でも、もうそのような段階を人類は卒業しなくてはいけない。

圧倒的なる愛として、圧倒的なる愛の実践として、圧倒的なる愛の奔流の
宇宙の神のご意思の、ひとつのしもべとして、道具として、手足として
この大宇宙を彩る愛の芸術の、その作品として
自らのかけがえのない愛の光というもの、命というものを輝かせていく。

そのような人生を、あなた方一人ひとりが送られるということ。

そのことを神が本来、望まれているということ。

そのことを伝える。

それが宇宙界の法であるのです。


神の宇宙から眺めたときの、神の本意であるということ。

それを伝える立場に、わたしたちは、今いるということ。

それを、わたしはあなた方に伝えているのです。


これから宗教というものが変わっていくのです。

ひとつの民族宗教というものではなくて、神の子が神の子であるのなら
どの地域にいようと、どのような文化の中にいようと
どのような宗教の、過去の歴史の中に染まったものであろうと
地球人であるのならば、そして、もっと広げていくのならば、どんな天体にいようと
どんな惑星に生まれていようと、どんなところにいようと
この大宇宙すべてが神の子であるという、そのような認識の中で
神というのはひとつであり、そこから分かれてきた、すべてがひとつの命
親のもとに帰っていく命であるということ。


そこには地球人であるとか、何人であるとか、どの銀河の出身であるとか
そのようなものは何もない。


だから、はるか遠くの銀河から、わたくしたちはやって来て
地球のために命を投げ出すために飛んで来たのです。

あなた方のルーツもそういうところがあるのです。


であるのならば、地球の中で、キリスト教徒である、イスラム教徒である
仏教徒である、神道である、ユダヤ教である、はたまた無神論である。

そのようなつまらぬ枠を、鎖を自ら身につけて自己限定をし
狭い、狭い視野の中にいることをもっては
もう許されない時代がくるということなのです。


目を広く高く、そして、心に愛を、より広く豊かに持つことをもって
あなた方の認識力は無限大に、宇宙大に広がっていくことでしょう。

広がっていったときに、その偏狭な狭いところからくる無知な思いによる
愛の狭さというものが取り払われ、宗教などというものは、もう死語となって
ただただ神と共に、愛と一体となって
互いに隣人同士愛し合って、助け合っていく。

そのような社会が出現してくるのです。

そのような時代がくるのです。

そのようなところにわたくしはこの地球というものをもっていきたい。


それを、わたくしだけではない、わたくしの仲間たち
そして、九次元の方がた、十次元の方がた、そのような方がたをもって
みんな悲願として、この日を望んで
どれだけ長い間、わたしたちはこの地球と共に生きてきたことでしょう。


最後の総仕上げが成功するか、失敗するかの
その瀬戸際にかかっているということ。


この愛の理念を、宇宙の法を降ろすことが、今、ピンチーヒッターと言われつつも
ここにきてかなったということをもって、感無量の喜びをもって
わたしはあなた方にお礼を申し上げたい。


ひじょうに一方的な、ひじょうに天上界から唐突な
勝手なお願いであったと思うけれども
あなた方はそれによって、ひじょうに苦しまれたけれども
今もまた、その迫害の中にはあるけれども
これから先、地球すべての人類、生きとし生けるもの
すべてを愛の循環の過程の中に導く
地球の最終的なレペルアップの時代になっていく。


そのことを思い、
どうか、この仕事のために、愛の使者として、神の愛の使者として
我々に力を貸していただけないだろうか
この仕事を完遂させていただけないだろうかと、わたくしはあなた方に願うのです。


一部の者だけが優れ、
一部の選ばれし者だけが、神のご機嫌を取った者だけが
神の通路、愛の通路となるのではないということを
わたしはあなた方に言いたいのです。


鎖を外しなさい。
心の壁を取り払いなさい。


宇宙大にまで広がるだけの
あなた方は素晴らしい神の子としての愛のエネルギーをもう授かっておられるのです。

自己限定しないで、自らの素晴らしさを信じて、他者を愛するだけではいけませんよ。

こういう光の天使は、どうしても自分をないがしろにして
他者を愛することによって、ゆきすぎるのです。


さっき言った呼吸です。

息を吸うということは、自らを愛することです。

自らの存在を愛し、誇りを持ち、一生懸命自分を、自らを愛してこそ
他者を愛するエネルギーになるのです。


神から受ける愛の大きさが、神の子たちを愛するエネルギーになるのと同様に
あなた方も、自らを愛することを忘れてはいけません。

自らの愛のエネルギーに気づき、自らの神性をかけがえのないものとして
最大限に自らを、誇りをもって光らせるということ。

それをもってこそ、他者を愛していく
他者を光らすエネルギーヘとまた転化するのです。


この間、言われているはずです。

アモール様に言われているはずです。

愛は循環すると。

今、わたしは呼吸のことを、たとえをもって循環ということを申し上げているのです。

そうやって、愛は循環するのです。


人からむさぼる、愛を奪って、吸って、吸って、吸ってだけでは苦しいでしょう。

「愛はやはり、他者を愛することをもって、愛なのですよ」と言っています。

では、与え切りではどうでしょうか。

与えて、与えて、でも、自分はつまらない者だと、自分をいじめ尽くしていく。

そこには少しも
かけがえのない自らの神性の個性を輝かせるということは何もないということ。


自らも愛することです。

自らにも誇りを持つことです。

そして、
あなた方自身を、ほんとうに誇りある、素晴らしいこの命だと
この個性だと気づいて、自らの内側の個性に気づいたのならば
そこには感無量の、自らを創造してくださった根源の神に対する
圧倒的な感謝というものが湧いてくることでしょう。


それをもって、
他者を、神の子たちを、仲間たちを愛して、赦していくのです。

それが愛の循環の摂理なのです。

これをあなた方に知っていただきたいのです。


そうすれば、あなた方ご自身の光が輝くことでしょう。

かけがえのない個性が輝くことでしょう。


(2005.8.19 レムリア・ルネッサンス)