今までに何度も

みなさまに発信してまいりました

自分の外にあるモノを
ジャッジし続けている限り

自分も外にあるモノから
ジャッジし続けられるのだということを


今一度ここで

とても分かりやすく表現されている

ラファエルからのメッセージの一部を天使

シェアさせていただきます心m(__)m心




宇宙の中において何が悪いっていうことはないのです。

悪いと決めているのは、あなた方の裁きの心だということ。

わたしはさっきから何度も言っている。

自己限定の中で、ひとつの宗教的な、
社会的な制約の中において
善悪というものを決めている。

自分がこういうふうに正しく生きてきたから
お行儀良く生きてきたから相手の人は間違っている。

だから、相手は悪人であると、
そういう裁く、ジャッジするその心そのものが
今の世界の混乱をつくっていることをいっているのです。

神の世界は認識が高くなればなるほど、自由であります。

相手を裁くことはないし、悲しみや、喜びや苦しみを押さえつけて
平面的な感情の奴隷になるようなことは、一切ないのです。

逆に言うと、それは宗教の世界の中の指導者として
あの世に帰った者たちの、ひじょうに閉そく的な地獄があります。

自分たちこそは正しいと
そして、女性の姿を、裸体を想像しただけでも地獄に堕ちると
そのように思っている者たちは、仏教の中においても、イスラム教徒の中にも
いろいろあるのです。

全部、自分たちでつくった鎖のかせにはめられている。

その中において、自分で自分たちの中を、
感情をすべて押し殺すことによって
正しくあらんとすることによって、
その感情の逆襲を受けることによって
自分たちで地獄をつくり出している。

そのような世界に通じてしまうよ。

だから、上の世界に行けば行くほど、自由であるということ。

ゼウス神はどうお思いになるか。

マヌ神をどのように思われるか。

今回、なぜ彼らは、あのお二方を出してきたか、わかりますか。

あまりにも、こうあるべしというところで、
地球人は
この地上の者たちは、自己限定を厳しくし
そして、喜び、幸せに思い、歌い上げる、人生賛歌をすること
愛の賛歌を奏でることが
まるで間違ったことであるかのように思ってしまった。

それは少しも、神が喜ぶ姿ではないのだよと。

神の子としての本来の姿ではないのだよと。

悪いとか、間違っているとか、言っているのは
あなた方の心の中の縛りであるのだよということを
繰り返し伝えられているはずなのです。

あなた方の心の中にある、自由な、やりたいと思う思い
たとえば、結婚だって、何歳までにしなくてはいけないと思うんでしょう?

宗教的な者たちは、大体が独身が多いのです。

確かに結婚することによって学ぶことは多いかもしれない。

でも、嫌ならしなくていいのです。

したけりや、すればいいのです。

違いますか?

だから、しないからといって、引け目を感じることはどこもない。

自分の人生を堂々と、自分の才能を開花させて
たかだか数十年、生きればよろしいではないですか。

なぜ、結婚しなくてはいけない?

結婚できないから、結婚しないから、したくないから
それは自分が選び取ることです。

したければすればいい。

したくなければしなきゃいい。

人からどう言われるものではないでしょう。

すべてにおいて
そのような足かせの中にあなた方は生きているということです。

そこから、本来の感性において自由にしていくのが
感性を中心とした芸術家たちの
芸術的な手段として神に出会う道でもあるのです。

ですから、頭ばっかりで、知的なものばっかりで、ものを見ようとする。

一度、頭を外して、感性で自分の心に正直な神の心として
神の子の本来の性質を
自分自身のオリジナルな気持ちに正直に生きるということを
もっと、自分に正直に生きてごらんと。

地上にいる時は数十年だよと。

わたしたちから、永遠の時を生きている者から見たらね
あなた方は、まだ三十年生きられる、四十年生きられると
思っているかもしれないけれども
わたしたちの世界から見たら、あと三日か四日にしか見えない。

それこそ、夏の日の蝉に見えるかもしれないんです。

もう、帰ってくるときが目に見えているのに何をしているのかと
逆に言いたい。

そして、悟りの道が、もし、あるとしたのならば、その縛りを捨て
愛の心、光の心、一元に向かうこと
二元対立から光一元に向かっていく道の中において
神の子として、どんどん自由になる道
相手においても、自分においても、自己限定を捨てて

いいですか?

自由になっていく。

自分の愛に正直に生きていく。

その愛の道を学ぶこと。

愛というのは、一言でいうのは簡単だけれども
愛の本質を学ぶことは、たいへん難しいのです。

神の本質が愛であるということを、愛のエナジーであり
パワーであるということを学んでおられるでしょう?

愛をほんとうに生きる、認識するということは、ほんとうの意味において
あなた方が、どんどん、どんどん自分の中に
蓄積した鎖を一本一本外していく道かもしれない。

その中において、自分を自由にし
そして、自分を裁かず、自分の自己限定を外したときに
初めて相手のことの、裁いていた
その、ジャッジしていたことを外していくことができる。

相手のありのままを受け入れることができる。

自分を愛せぬ者は、他者を愛することはできないのです。

だから、愛すること、愛されることを学びなさいというのも
そういうことです。

表裏一体、コインの裏表であるということです。

いいですか?

愛すること、愛されること、さっき言っていました。

シスター、あなた方は言っていたけれども、愛することを学ぶこと
愛されることを学ぶ人がいます。

いいですか?

でも、これは同じこと。

コインの裏表よ。

いいですか?
これを両方、学ぶこと。
それが永遠の課題でもあります。

それぐらい、愛っていうことを学ぶのは
ひじょうに難しいことであるということです。

その、愛ということを学んでいくにはね、自由というもの
それが、ひじょうに不可欠であるということです。

その永遠の旅びと、愛を学んでいく永遠の旅びと
それがわたしたち、神の子たちであるということです。

たまたま、ちょっと先輩にあたって、役職があるかもしれない
でも、あなた方と同じブラザーである、兄弟、家族である
ファミリーであるということ。

それがわたしの見解でもあります。

あなた方より上にあるのではなく、あなた方の仲間であり
家族であるということ。

この地球に住まう家族であるということ。

そのことを、どうかわかってほしい。

だから、ひとつの芸術を表現することにおいても、悟りにおいても
社会においても、家族においても、愛を学ぶ仲間たちであるということ。

その意味において、自己限定を外すということは、自己愛を
自分自身を愛するということを学ぶということですよ。

鎖を外すということは、自分を愛するということを学ぶということですよ。

で、他者をジャッジしないということは
他者を愛するということを学ぶということですよ。

コインの表と裏ですよ。

いいですか?

これが両方できないと、愛は学べないということです。

それを学んだら、それを表現していくのが芸術です。

そして、芸術の段階論であるのです。

けっして天上界に行けば行くほど、窮屈になると
それは誰が言ったのか知りません。

天上界は上に行けば行くほど、自由です。

わたしたちより、またもっと、上に行ったときの
九次元の方がたの大らかさを、わたしはあなた方に見せあげたいと思う。

それを、見せたいからこそ、今回、マヌ神や、ゼウス神を出してきて
ここに、レムリアのメッセージを降ろしているのです。

神の子はもっと自由であるということです。

いいですか?

神の本質というのは大宇宙の本質
愛の本質は自由であるということです。

そのような型にはまった、ルールに縛られた
男女の愛においても、紙っぺらひとつにおいて表現されるような
婚姻制度に基づくものだけが、ほんとうの永遠の愛ではないということ。

もっと別な愛の形があるよと。

愛を学んでいきなさいと。

その、愛を学んでいくための永遠の旅びとがわたしたちであるよと
それを伝えていってほしいと。

その段階にやっと、地球人がきたのであるよと。

そういうことを、今、言う段階なのです。

よろしいでしょうか?

ちょっと、長くなりました。

あなた方のご活躍を心から期待いたします。

そして、あなた方のご活躍のあとに
わたくしは、わたくしの仲間たちを率いて
また、この地上で仕事をさせていただきたいと思っております。

そのためにも、どうか、あなた方の力を最大限に発揮されますことを
心よりお祈り申し上げて、今日は失礼させていただきたいと思います。

失礼いたします。

(2006.6.17 レムリア・ルネッサンス)