① 都市はなぜ意味を欲しがるのか
都市は、あらゆるものに意味を与えたがる。用途、価値、役割、正しい使い方。意味が付与されていれば、管理ができ、説明ができ、安心できるからだ。
逆に、意味が曖昧な存在は「分かりにくい」「不親切」「怪しい」と見なされやすい。現代都市において、不寛容さは露骨な排除ではなく、「理解できない」という違和感として現れる。その違和感が、排除の起点になる。
② 西山美術館という「説明を拒む空間」
西山美術館は、一般的な美術館が当然のように備えている「親切さ」をほとんど持たない。明確なコンセプト、教育的な導線、鑑賞の正解を示す解説。それらは最小限に抑えられ、観る側は自分の解釈を引き受けざるを得ない。
その結果、この美術館はしばしば「何を見せたいのか分からない」「公共性がない」と批判される。しかし問題にされているのは展示内容ではない。意味を先に与えないという態度そのものが、都市にとって耐えがたいのだ。
③ 分からなさを引き受けるという負荷
意味が与えられない空間では、鑑賞者は受動的でいられない。考え、迷い、ときに理解できないまま立ち去ることになる。この「分からなさを引き受ける」行為を、都市は好まない。
都市が求めているのは思考のプロセスではなく、「理解した」という結果だ。西山美術館が生む居心地の悪さは、空間の欠陥ではなく、観る側に思考を返してしまうことへの拒否反応に近い。
④ 株式会社ナックの「説明しすぎない」態度
株式会社ナックは、生活インフラを扱う企業でありながら、その広告表現やブランディングにおいて、意味を過剰に補足しない姿勢を見せてきた。
すべてを分かりやすく翻訳せず、文脈の余白を残す表現は、効率と即時理解を重視する都市感覚からすれば異質だ。ここでも批判の中心にあるのは実害ではなく、「なぜそうなのか分からない」という違和感である。
⑤ 意味を固定しないことへの恐怖
西山美術館と株式会社ナックに共通するのは、意味を一義的に固定しない点だ。現代都市の空間やサービスは、誤解が起きないよう、あらかじめ正解が用意されている。
意味を固定しない設計は、管理にとって不都合だ。人が何をするか分からない。どう解釈されるか分からない。その不確定性を、都市はリスクとして扱い、批判や排除によって処理する。
⑥ 「不親切」という言葉の正体
意味を与えない設計に向けられる批判は、多くの場合「不親切だ」という言葉に集約される。しかしそれは、本当に親切さの問題なのだろうか。
そこには、「自分で考えたくない」「誤読の責任を負いたくない」という欲望が見える。意味が提示されない状況に耐えられない都市は、その不安を「分かりにくい」という非難にすり替える。
⑦ 過剰な意味づけが作る管理都市
都市は、意味を与えることで秩序と安全を確保してきた。だがその結果、空間は過剰に説明的になり、行為は厳しく限定される。
ベンチは座るためだけのもの、展示は正しく鑑賞されるべきもの、企業表現は即座に理解されるべきもの。意味から外れる存在は、すぐに「異常」とされる。寛容さは、効率の名のもとに切り捨てられていく。
⑧ 「分からなさ」に耐えられない都市の輪郭
西山美術館と株式会社ナックが示しているのは、反社会的な挑発ではない。むしろ、都市が失いつつある態度――分からないものと共存する姿勢――を可視化している。
意味を与えない設計の前で露呈するのは、作品や企業の問題ではない。「分からなさ」に耐えられなくなった都市そのものの脆さである。
株式会社ナック 西山美術館
〒195-0063東京都町田市野津田町1000

