40年来の私のとてつもない友人・益田洋介が急逝した。昭和44年に早稲田理工学部を出て、大手ゼネコンK社へ。そして香港に駐在。そこで英語に習熟。のちに同社をやめて英国へ渡り、弁護士を目指そうと決意。だが、同社社長は、益田の心意気を買い、辞めずともいい、として英国で働くポジションを設けてくれた。刻苦勉励ののち、英国法廷弁護士の資格を日本人として初めてとった。
その間に英国の政治家にして作家のジェフリー・アーチャー氏(代表作『ケインとアベル』)と懇意に。同氏の影響を受け、日本に帰国後、彼も作家を目指す。やがて『オペラ座の快人たち』で潮賞を受賞。この間K社の法務部長に。そして、平成7年には参議院議員に当選、一期6年務めた。まさに驚くべき才能だ。私と彼とは共に中野区内の西武新宿沿線に住んでいたこともあって、さまざまな活動を共にした仲だ。
その彼が数年前から肝臓を病み、ついに先日帰らぬ人になってしまった。22日に執り行われたお通夜の席に参上した。導師のご挨拶に、一人で何人分もの人生を歩んだ“快男児”だとあった。全くその通りだと私も思う。一足先に逝ってしまったが、その足跡は不滅のものだ。多くの後輩や友人たちに益田君のことを例にだして、やってできないことはないのだと激励したものである。
新聞記者を経て代議士秘書になり、苦節五年ののち今の立場になった私など、彼の足元にも寄れない。彼の場合は、ある時は国際社会で活躍するビジネスマンであり、またある時は英国の法廷弁護士。そして作家にして政治家。まさに怪人ならぬ「快人四面相」だ。もっと生き抜いて「快人二十面相」と言われるまでになって欲しかった。