はじめまして。あかまこです。
こんにちは。
はじめまして。あかまこと申します。
私のことを知っていただくために、まずは自分の経歴を話そうと思います。
22歳、パニック障害に。
よくある話です。お局様のご機嫌を取ることができず、ひたすらに嫌われていました。
最初のころは新人だからと仲良くできていました。
ですが、2ヶ月が経った頃。
雲行きが怪しくなりました。
「前にも1回教えたよね?」
「なんで1回で覚えられないの?」
ゴルフ場のレストランで働いていたのですが、どこに何があるのかすぐにわからず、自分で探すと時間がかかると思った私はその時一緒にいたお局様に聞きました。
返ってきたのは、ため息と嫌味でした。
すみませんと一言謝り、その場はしのいだものの。
その日から私の地獄は始まりました。
周りのスタッフにこれはこうですか、あれはこうですよねと仕事を進めていると、どこからともなく大声で聞こえてくる罵声。
「なんで教えてあげてんのにできないの?」
「バカはいらないんだよ」
「あいつはおかしい」
負けちゃいけないと、ひたすら耐え続けました。
泣いても罵声を浴びせられる。だから、ずっと我慢をしていました。
そんな時、先輩の1人がおもむろにノートを取り出して私に見せてきました。
「お局様のノート、見る?」
正直、震えました。
時折ノートを取り出して何かを力いっぱい書き殴っている背中を見てはいたのですが、個人のものだからと中身までは見ていませんでした。それに、仕事関係のことをかいていたら私が見てもわからないだろうし。
なのに、人間の好奇心とは怖いですね。先輩と一緒にそのノートを見てしまいました。
そのノートに書いてあったのは、お局様が自分や周りの人間に対しての不満がぐちゃぐちゃに書かれており、
名指しで〇ねと書かれていました。
不満の吐き出し方は人それぞれです。
それこそ、口に出すのではなく、ノートに書いてうっ憤を晴らすでもいいでしょう。
それでも、名指しで不満を山のように書かれ、4ヶ月も経ったころには無視をされるようになった。
そんな環境で強く生きるのは難しくなっていきました。
絶対に間違えちゃいけない。
ミスをしてはいけない。
完璧に仕事をこなさなければいけない。
そう考えれば考えるほど。
間違えて。
ミスをして。
完璧に仕事ができなくて。
人が少ないから仕事をやめるわけにはいかない。
そんな私が仕事を続けるために、心を保つために始めてしまったのは、自傷行為でした。
カッターで腕を切るのは痛いから、ひたすら左の手首を爪でひっかいていました。
腕をひっかきました。手の甲をつねりました。声も出にくくなり、出せ、と首の皮をつねりました。
ひっかけば痛くない。つねれば傷は残らない。そんなことしか頭になくて。
気が付けば手首と腕はかさぶただらけ、手の甲と首は内出血であざだらけでした。
両親は、だんだんと私の目が虚ろになっていくのを感じていたそうです。
いつもの私じゃない、というのを何となく感じていたようですが、特に手は差し伸べられませんでした。
でもどうしても助けてほしいと思った私は、相談をしました。
母は看護師で、元々精神科に勤めていたこともあったため、いろいろな助言をしてくれました。
ですが、父は自衛官で「俺より厳しい環境はない。泣き言を言うな。」とお説教が始まりました。
母が制止をかけましたが、ボロボロだった私はお説教中の父の話を遮り、自室に閉じこもりました。
父に反抗したのは、人生でそれが初めての経験でした。
そんなボロボロなのになぜ辞めなかったのかというと、その当時、私は声優の養成所に通っていました。
それだけが、生きる理由でした。
養成所のレッスン費は自分で払っていたため、やめるわけにはいかなかったのです。
そうして続けていったある日。
過呼吸と痙攣をおこし、救急搬送されました。
気が付いた時には真っ白な天井が視界に入り、ベッドに横になっていました。
腕には点滴をされていて、精神安定剤を打たれたせいか、頭もぼーっとしていて。
母の迎えでその日は家に帰りました。
ですが、仕事はやめていませんでした。
心身ともに限界だから、もうやめるべきだと今でこそ判断が付きますが、私はやめませんでした。
続けないと、父に何か言われる。
続けないと、お局様に何か言われる。
続けないと、他のスタッフに何か言われる。
正常な判断がまったくできていなかったのです。
そんな時に精神科に通うことになりました。診断結果は『パニック障害』。
抗不安薬などを処方された。「飲み続けながら様子を見ましょう」と、先生は優しく声をかけてくれた。
それでも、ダメだった。
1ヶ月で4回救急搬送された。
仕事の休憩中にODして、気絶し、気が付いた時には休憩時間をとっくに過ぎていて、「あぁ、やってしまった」と、過呼吸、痙攣を起こし泡も吹いて運ばれた。
やっと限界なんだと、周りに理解をしてもらえた。
退職手続きはすべて母がしてくれました。本当に感謝しています。
父からは、なにか言葉をかけられたような、かけられていないような。覚えていません。
でも、口数は前より格段に減っていて、こっそり母から「お父さん、言いすぎたって反省していた」と聞かされました。わけもなく涙が出ました。
そうして治療を開始して数年。
発作も起きなくなり、社会に出て、1人暮らしを始めた。
それなのに、まだ終わっていませんでした。
26歳。適応障害に。
これもまた、お局様だ。つくづく運が悪いのか、なんなのか。
無視はされなかった。でも、仕事に関する進め方で、そりが合わなかった。
「前に1回教えたよね?」
「なんでできないのか理由を説明して」
あぁ、まただ、と目の前が真っ暗になった。
そして私は、逃げるように先日やめました。
26歳。金はなく。
お付き合いを初めて日の浅い彼氏がいる。
本当に、ただそれだけ。
だから、強く生きたい。
以前の自分には合ったキラキラした何かをまた取り戻したい。
強くなりたい。
そう思って、ブログをはじめてみることにしました。
幸い、就職先はすぐに決まっていて。
どんなにしんどくても、つらくても、逃げないって決めました。
厳しくて泣いても、それでも、頑張れる理由が自分の将来にあるはず。
付き合いたての彼氏は、本当によくしてくれる。
この先、別れるのかも、結婚するのかもわからないから。
この1年は、自分のために費やしていきたいと思います。
長々と失礼しました。
どうぞ、あかまこをよろしくお願いいたします。