今でもよく思い出すのでこのブログのテーマとは一切関係ありませんが
この記事だけは残しておこうと思います。RIP
2月18日、18時頃に僕の唯一の弟であるポコ(15歳2ヶ月)が亡くなりました。バイト終わりにオカンから知らせを聞いてすぐに実家に帰ると、ポコはいつもと何も変わらず寝てました。でもなでると少し冷たく、硬くなってました。その日は一緒の部屋で寝ました。
そして次の日は告別式と葬儀でした。オトンは朝まで葬儀に使う写真を選び印刷し、オカンは散歩に行く習慣で早朝に目を覚ましてました。葬儀場に行くまでは好きなお菓子や花を買ってきたりしつつゆっくり過ごしました。そして葬儀場に行く車の中では顔は痩けてもまだまだ重く、毛もサラサラのポコをいっつも嫌がられてたけど僕が抱っこしてました。おでこから鼻にかけて広がってる白いとこがめちゃめちゃ好きでずっとそこを触ってました。
葬儀場に着き、綺麗な花と好きな食べ物に囲まれたポコにお別れを言い、弟のポコは天国に昇っていきました...
しっかり納骨もしてあげました。顔の骨格はポコそのままでした。でっかい骨壺とは別にカプセルキーホルダーに小さい頃よく噛まれた思い入れのある残った犬歯を入れました。
家ではみんながリビングで座ってご飯を食べるとこを見渡せて、飯くれ!といつものようにアピール出来るように、でっかい写真が飾られました。.....
.... 僕とポコの出会いは突然でした!
毎年クリスマスには弟をお願いする僕にサンタは聞く耳を持ってませんでしたが小1の春休みのホワイトデーのオカンの「お父さん、運命の出会いしたわ!犬飼う!何言われようが!」によって、生後3ヶ月のその頃は午後の紅茶のCMにも出てないマイナーな犬種のコーギーの雄でした!
段ボールの中の手のひらサイズのその犬は僕に抱きかかえられながら我が家にやってきました。
名前は近所の可愛い犬の名前が不二家でおなじみのペコちゃんやったからオスってことで"ポコ"になりました!!しっぽは生まれながらに野球ボールサイズで胴長短足、耳がおっきく走り方はウサギみたいでした!家についたらフローリングの上をすべりながらとにかくひたすら猛ダッシュし、ティッシュカバーを噛みまくってました。僕はこの日、当時はやっていたポケモンのピカチュウみたいに相棒的な弟で最強にしよう!、とか考えつつ、その前からずっと犬が好きで「犬の飼い方」なる本を読んでた僕は犬の平均寿命も知ってて、「ポコも俺が大人なる頃に死んでまうんかなー」てことも考えてました。(犬飼ってる人はこれ100%考えたことあると思います)
でもとにかく20年ぐらい生きてほしいし絶対健康的な食事させて日々鍛えたろ!っていう結論にいたりました。
とにかく何してても可愛くて、家族になった翌日の朝はシャツにちょろっとおしっこをひっかけられても叱ることができず「ま、これ着て行くわ」とニヤニヤしながらオカンに言い学校に行きました。掃除機、ドライヤー、爪切りの音が嫌いで休日は昼まで寝たい僕はよく起こされました。オカンはその頃からドライヤーをしなくなり、今ではキューティクルのかけらもない髪の毛になってます。(笑) 夜は食欲旺盛すぎてドッグフードを食べても人間の食い物(ジャンル問わず)をハンターのごとく盗み食いもしくはあぐらをかくオトンの膝に頭をのせおねだりして食べてました。健康的な食事は若干崩壊しましたが、限度はあったしポコの人生経験ってことで甘くしました。
僕は小3から野球を始め、ポコとは休日を共に過ごす時間が減りましたが、平日に散歩に行くと同級生や知らないおばちゃん、おっちゃんに「可愛いなー」と言ってもらって可愛がってもらったり、ポコは犬には興味ほとんど無しやけど、女の人はしっかり見極め、ルックス◎なお姉さんには絶対に近づいて行く。僕は小学生ながらポコに感謝したのを覚えています。とにかく地元のみんなに愛されるやつでした!
また、野球の練習やマラソン大会の練習にもよくつきあってくれて、その頃は走る早さも短足ながら俊足で、ちょうどいいライバルでした。
僕が学校の時間は静かに家で待ってるし、トイレは散歩の時しかしないし、休日は風呂も一緒に入るしボール遊びもするし、甘噛みがめちゃめちゃ痛かったり、朝飯の卵焼きを一瞬目を離した隙に食べられてケンカするし僕からしたらまぎれもなく本当の兄弟でした。
中学、高校は毎日朝から晩まで野球漬けであんまり遊んでやれず、散歩もオカンに完全に任せ、すこし太って愛嬌がでてきた。はず(笑) テスト期間の深夜は普段勉強せず焦る僕の隣で寝てくれて、僕は励まされつつ、眠気に誘われた。
高3の夏頃には一度体調を崩し、胃腸が弱いという日本人的な持病も発覚した。それでも散歩ではまだ走るし、家でも遊んで食欲もとどまることを知らなかった。
大学に入って一人暮らしが始まり、毎日は会えなくなったが、実家に帰る時は散歩に行った。歳を老いていくごとに走ることは少なくなり、散歩の距離も短くなりました。片足でおしっこする時の安定感も無くなりました。それでも散歩に行くしご飯の時は目を輝かすし元気そうで、可愛かったのでよく写真を撮りました。
でも去年の年末あたりからどの犬でも歳をとればなってくる心臓肥大のせいで、一日中咳をするようになり、おしっこも家の中でしてしまうようになってしまいました。それでもそんな自分を見られたくないのか、情けをかけたくないのか、絶対に隅っこでしてました。
年末愛媛のおじいちゃんの家に行ったときの夜は特に咳がひどいと感じたので僕は朝方まで心臓肥大について調べたりしたんですが、完全に治療する術は無く、犬によっては6歳から心臓肥大と診断されることも知ったし、改善策はもうすでにオカンがいろいろやっていました。
年明けは久々に一緒に散歩に行きました。オカンから聞いてたけど20mぐらいをゆっくり歩いては休憩を繰り返してってかんじで、その時認めたくなかった弟の老いをひしひしと感じました。
その日の夜にちょっと暗い気持ちで大阪に帰りました。その日が生きてるポコに会った最後の日になってしまいました。
この2月にはいってからポコはひどい下痢と食欲が無いので一度入院しました。3日ぐらいで退院し、心臓が大きくなって肺に負担がかかっているポコのために人間で言う酸素カプセルの酸素ハウスをレンタルしたというメールがその中で寝るポコの写真付きで送られてきました。でもちょっと元気になったと聞いて安心してました。
でもその3日後にポコは再入院となってしまい、残念ながら次の日亡くなってしまいました。
僕は斎場での待ち時間に待合室で"メッセージノート"という亡くなった犬にメッセージを書くノートを見つけました。それを見てると、ほとんどの犬が10歳とか8歳とかで亡くなってました。(猫は基本長生きしてました。聞いたところあんまり人間に感情移入しないからだそうです。笑)
だからまあポコもそこそこ長生きしてくれたし我が家の家族で良かったんちゃうかなー、幸せな犬生やったんちゃうかなーと思います。まだまだそっちに行くつもりは無いし、首輪も外してるけど賢くお前らしく待っててなー!
オカンにはお父さんには内緒やけど私が死んだらその時ポコの骨も一緒にお墓入れたってなーと頼まれました。笑
Rest in Peace My brother!!!!!
今犬飼ってる人は思いっきり可愛がってあげて出来るだけ一緒に過ごしてあげてください。
犬飼いたいと思ってる人は覚悟をもってください。
よし!
オトンもオカンも休日出歩かんようなったらあかんから社会人一年目の目標は両親に旅行をプレゼントしように決定!!さあ勉強頑張ろー!!
あ!もう卒業でいろんな別れはあるけど死んでない限り会える可能性あるからみなさんどうか死なんといてくださいねー!!