こんにちは。赤いユウスケです。
スピリチュアルの記事を書いています。
最近、気功のオンラインサロンに
入会してアーカイブを見つくした感あるのですが
改めて思うことは、界隈によって土台にしている
理論も違えば考え方も違うということです。
私は、
レイキはかなりバリエーション多くやったし
気功は深くやってないものも含めると
5,6個の流派の概念を頭に入れているし
占いとかも流派越えというより
占術を超えて色々触りだけ学びました。
他の界隈の話は
外から見てこう思う、ああ思う等
出てくるけど、外側から眺めている見方だし
ある意味、その土台に立って見ていないので
見当違いなこともします。
また、先日他の部署から異動してきた人は
同じ会社ですが、その現場によって違うルールがあるので
その現場の見方、土台ができておらず
ルールがおかしいという認識も持ったりもしていました。
(卓球の感覚をテニスに使うやり方。最初は真っ白にしないと
入ってこないこともあります。前提が違うときとか特にそうです)
何が言いたいかというと
苫米地さんが本に書いたことのある概念の
「塗りの残しの話」です。
それと苫米地さんは色々経験体験しながら学んだということです。
「塗り残し」は一枚の絵に
草とか、太陽とか、風車とか描くとしたら
「草が塗れてませんよ!」「まだ太陽が描かれていません」
といったように、
エネルギー、占術、仕事とか
「塗り残しているもの=やってないこと」
があって、絵が完成していません!
という状態があるという認識を持っています。
自分の得意なものや、
自分が多く情報を持っていて他人にあれこれ言われて
「そこ違うんだけどなぁ」
というのが、
塗り残しの少ない人から見たら感じることだと思いますが
多様な経験を持った人から見たら同じように乖離感が出てきます。
ま、早い話、
仕事で新人さん来たら、「そこ違うんだけどなぁ」って見るのと
気功で先生が生徒に、「そこ違うんだけどなぁ」って見るのと
気功もレイキも占いも、そこそこやってる人から気功の先生の話聞いたら
「そこ違うんだけどなぁ」ってなるのと一緒です。
(私も思われていることは多々あるかもしれませんがw)
まぁ、私の命式の星が言わせてる記事らしさはありますが
色々やった方が世界が広がりますよって話。