ECM1105

 

ジョン・アバークロンビー、デイブ・ホランド、ジャック・デジョネットの3人によるユニット、Gatewayの二作目。78年作。

一作目はジャズとロックが高いレベルで両立?融合?混淆?した傑作でした。ECMらしからぬ内容ながら、ECMという場でないと生まれなかったような気もする。

 

で、こちらの2作目はというと。ベースとドラムが同じレベルのままで、上に乗っかるギターだけが…普通のECMミュージックになっちゃったというか。前作の全編ディストーションの効いたギンギンの(死語)エレキギターから、何とも優しいエレアコやギターシンセによる、散々鳴らしても結局どこへも行かない行方不明気味のアバクロメロディ満開といった趣です。しかし支えるベースやドラムによるリズムは太くて硬いんです(何か卑猥だな)。

最後の曲はジャック・デジョネットのピアノをフィーチャーした鎮静作用そのものの響き。

 

まぁ3人の能力でどんなことが出来るのか、ちょっと手探り感のある内容なのかもしれないですね。

でもこのあと、結局このユニットは90年代に突如復活するまで、活動は途絶えてしまいます。突如の復活後は何の変哲もないただのギタートリオになっちゃってたかな。ジャケも酷いし、内容は…これならホランド、デジョネットでなくてもその辺の若手で良かろう、という。

そうそう、ジャケットはいかにも70年代から80年代にかけてのECMという感じで好ましいです。抑制的ながら色彩があり、彼方への想像を掻き立てられるもの。

ECM1448

 

コーザノストラに掛けてるんでしょうね。でもマフィア的な要素(鉄の結束とか?)など一切なく、いまいち理解しかねるネーミングセンス。駄洒落としても出来悪いし。

 

越境のトランペッター、最晩年のアルバムになるのですが、これがまぁらしくない。

ボボ・ステンソンやアンダーシュ・ヨルミンなどECMの精鋭が脇を固め、ECM的優秀作品といった趣です。いったらアメリカンでヒッピーなサックス吹きだったチャールス・ロイドのECM初期作によく似てるかな。ECMの考えるガチガチのストレートアヘッドジャズの中で大物に遊んでもらう、といった感じ。

これまでのチェリーのECM作はオーネットのいないオーネットミュージックを土台に世界中へ飛んで行ってた感じなんですが、そことは全然繋がってないです。いや、オーネットの曲もやってはいるんだけど、雰囲気としては60年代マイルスなんですよね。ショーターやハンコックのあのクインテット。チェリーとマイルスなんて全然違うと思うんだけど、サブトーンや無駄に高音をブッパなさい歌い口は意外にも近しいところがあって、作品としてはハマっている。

 

今でこそECMって誰もが思い浮かべるようなカラーがあるんだけど、最初期は結構熱い音源が多くて、特にガルバレク、リピダル達の初期作品は、電化マイルス。in a silent wayやbiches brewとか。混沌なジャムへ行く前の緊張感に満ち満ちた音。あの辺を教科書にしていた印象があるんです。

この作品が録音されたのは90年代半ばだけど、まぁ一種の先祖返りなのかな、と思って聴きました。

チェリーファンからしたらすごくつまんないだろうけど、ECMファンが聴いたら悪くない。ステンソン名義だったりしたら、素直に傑作扱いだったかもしれないですね。

ECM1445

ヨン・バルケがOslo13を率いて録音したアルバム、ということになるんですかね。92年に発売された作品。

 

Oslo13という集団はよく分からないです。ECMにはこの一作だけだけど、それより前に他のレーベルからも出しているらしい。メンバーに10年後に人気が大爆発するニルス・ペッター・モルヴィルがいるのが目を惹きます。リピダルとThe Chasersというロック然としたバンドを組んでいたドラムのオウドゥン・クライヴ、ECMのハウスドラマーと言って良いヨン・クリステンセン、さらにバルケのアルバムの常連でECMにリーダー作も残しているガンビア出身パーカッショニストのミキ・ンドウィエなど。2ドラムにパーカッショニスト2人。トランペット2本、アルト1にテナー2。で、バルケのキーボードという編成。

Oslo13のリーダーが彼なのかどうかはよく分からないです。でもこのアルバムはバルケのリーダー作なのは間違い無い。クレジットでも明らかだけど、それ以前に音楽的内容がバルケ色全開なんですよね。

バルケはものすごくうまいピアニストなんだけど、殆ど弾かない。時々弾くとハッとさせられるんですけどね。どっちかというとキーボードで空気を支配するような妙な持続音を出してる場面の方が多いかな。メンバーが沢山いて、一斉に鳴らす場面も多いのに決して熱くはならない。疾走感があるのに隙間が多い。打楽器が四人もいるのに混沌とすることが絶対になく始終整然としている。聴いてて乗っていける場面も多いんだけど、いつの間にか終わってるような感じで掴みどころがない。管楽器隊の面々がソロを取ってる場面はあるはずなんだけど、匿名的で印象に余り残らないんです。モルヴィルなんてすごく興味あるんだけど、ソロ取ってるのか取ってないのか(よく聞けば分かるんだろうけど…)。

 

後々のMagnetic North OrchestraだとかBatagrafなんかの大事な部分は既に全部表れている感じですね。ただ、それらよりももっとシンプルでポジティブな傾向が強くて聴きやすい。

ヨン・バルケのリーダー志向の原点を聞いたような、収穫のあった一枚ではありました。

ECM1784

 

随分と以前にチャールス・ロイドのことがそれほど好きでない、と書いたと思う。

どうも吹きぶりにふにゃふにゃしているところがある。誇大妄想気味なところがあったり、時々アメリカン趣味を表したり、地がECMと相性合わなさそうなところを何とかECMの枠に押し込めているようなところがなきにしもあらず。ECMファンとしてもモヤモヤするし、最近のBN移籍後の水を得た魚ぶりを見ていると本人的にもどうだったのかと(そういえばECMにはfish out of waterなんてアルバムもあったw)。

でもロイドのECM盤って日本人に訴えるものがあるのか、国内盤がよく出ていてそれがまた中古市場によく出回るんですよね。中古によく出るってのは基本的によく売れた、ポジティブな現象と理解しています。

ポツポツ拾っていると結構な量を聴いてきて、結構気に入ったアルバムもあったりします。まぁなんだかんだ言ってもアイヒャーはロイドの持っている美質の一面をうまく抽出することに成功しているんですよね。全面ではなかったにしても。

 

このアルバムは先に発売されたThe Water is Wideというアルバムのアウトテイク集みたいな感じで、少し遅れて発表された作品です。ジャケットが完全にポジとネガで使い回しという。わかりやすいw。

ギターにアバンクロンビーの入ったクインテット編成。ピアノにブラッド・メルドーが参加していて、ECMに初見参ということで大いに話題になったと記憶しています。自分も発売当時すぐに買いました。

が、この黒い方、私は大嫌いだったんですよ。葬式かよ、と。メンバーの個性が完全に死んでる気がしたんです。アイヒャーの個性に潰されちゃったかな、と。

白い方はさらにその落穂ということで、これまで見向きもしなかったんですが、20年もの時を経て500円で売られていたのを見て手にしたんです(苦笑)。この値段なら聞いてやっても良いかと(何様)。

 

ダガシカシダガシカシ。これが無茶苦茶良いじゃないですか!

黒い方は他の人の曲が多かったのに対し、白い方の本作は全曲ロイド作曲。遠慮した雰囲気は皆無で全員がハメは外してないんだけど、とても良い演奏をしていると思います。葬式的なとこはないですね。何ともジャズ的。ケミストリーがちゃんと産まれていますね。本当に良いセッションの雰囲気がある。個人的に好きと言えないロイドも1/5のメンバーとしてはとても良い感じです。黒い方では遠慮の塊みたいだったメルドーもキラキラしたバッキングを効かせているし、空気みたいだったアバクロが全体のトーンを支配している感じがします。

アイヒャーからしたら黒い方がいいアルバムなんですよね。いつぞやのリッチー・バイラークのセッションをボツにした時と同じ価値観。別にバイラークのことは好きじゃないし、ECMにアート・ブレイキーはいらん、というのにも同意ですが、価値観の方向性としてです。

 

ほんと、アイヒャーって功罪あるんですよね。特にアメリカのジャズマンの作品ではそこんとこが顕著です。意識して付き合った方がいい気がしますね。

本当、ここまで良いように裏切られた作品は自分のジャズ視聴史の中でも珍しい部類です。傑作。

ECM1143

 

久々のブログ。ヴィジェイ・アイヤーが激賞したということで俄に注目を集めた1979年の作品。紙ジャケで再発されたのもアイヤーの影響なんじゃないだろうか。

ヴィジェイ・アイヤーがECMの何に惹かれたのかというヒントみたいなものが分かるかと手に取ってみたのですが…。

 

A面が1曲、20分程度の長尺曲。スミスのペットにサックスとヴァイブ他打楽器の人。3人。全員持ち替えもするのでいろんな音が聴こえるけど、まぁ3つの音しか鳴らない。

B面は同じくらいの長さの曲が2曲。1曲目はケニー・ホィーラーとレスター・ボウイ。2曲目にチャーリー・ヘイデンが参加しているんだけど、これが見事にどうでもいいというか無駄遣い。呼ぶ必要あったか?という。結局3曲ともスカスカなんですよ。一言で言うとAEOCの劣化版。コンセプト不在で演劇的要素を欠くAEOCとでも言いましょうか。薄くてつまんない。

集団で勝負にならず、個でも勝負にならず。ゲストを呼んでもなおスカスカ。ヘイデンが参加してここまで中身のない薄い音源はついぞ耳にした事がないです。仮につまらなかったとしても(そんな嫌な思いしたことなんて殆ど記憶にないですけどね)、ヘイデンのベースが腹に来る音を鳴らすことだけは普通保証されているはずなのに…。

一回は何とか我慢して聞いたけど、再挑戦する気にとてもならない駄盤ぶり。

アイヤーの頭でっかちな部分には響くところがあったんですかねぇ。

ECM1922

本作はリューティストであるロルフ・リスレヴァンによる17世紀初頭。いわゆるバロック初期のイタリア人の作曲家たちによる音楽を取り扱った作品です。もちろんNew Series。

リスレヴァンはオーセンティックな古楽演奏家です。うちにもヴィヴァルディの協奏曲を演奏したアルバムがあります。非常に瑞々しい、粒立ちの良いリュートで大好きなアルバムですね。

がしかし。このアルバムはちょっとオーセンティックな古楽のアルバム、とは言い難いんですよ。アルバムタイトルはイタリアの当時の作曲家たちがそれまでのルネサンス的な音楽を一旦チャラにして、想像上のギリシャ音楽に範を取り「自己表現」を行ったことを踏まえ、翻って21世紀の我々が本当に彼らの行っていた「自己表現」をなぞると…と言っているのです。聴き始めは正調の、でもとてもノリの良いキビキビとしたリュート音楽、といった感じですが段々盛り上がってくるといつの間にかウッドベースがなっていたり、フラメンコの響きが寄り添っていたり、終盤は如何にもECM的に艶かしい女性の囁きが静寂の中から立ち上ったり。とても控えめにやりたい放題なのです。矛盾した物言いですが…。

21世紀のECMはNew Seriesと通常のラインとの線引きが曖昧になっていっています。それも非常に良い意味で。そのことをNew Series、つまりクラシック側から無効化する象徴的な作品だと思います。

 

 

つけたり。70年代くらいから始まった古楽復興はどうしても想像が埋め合わせるものがないと成り立たない性質を持っていたと思います。その想像をどれだけアカデミックな、そしてアーティスティックな感性で説得を持たせるか。でもあるところまで行ってしまうと限界があって、書かれた部分の大きいより近代の方へ行ってしまう人も多かったんですよね(ブリュッヘンとかアーノンクールとか)。一方でその想像の向こうの創造の世界へ行く向きもいて、我が国のタブラトゥーラなんかはそっちの成功例だったんじゃないかと。リスレヴァンの本作は古楽というものの本質的な問題点をとても危ういバランスでもって美しく昇華した傑作なのだろうと。

ECM2444

ノルウェーのピアニスト、ヨン・バルケの2016年作品。

バルケは1955年生まれの当年66歳。人生100年時代、レーベル誕生後半世紀を経テイルECMだとまだ中堅の感じもするけど、1975年のアリルド・アンデルセンのアルバムに参加していて実は最古参なんですよね。リーダー作はピアニストというよりは中編成以上の特殊なアンサンブルを従える、オーガナイザーとしての顔が印象的なアーティストです。

が、本作はソロピアノ。もともとアンサンブルでも、それほど多くはないんだけどソロを取ると耳を奪われることが多くて腕が立つのは知ってたんです。が、本作では全然バリバリ弾いてくれないんですよ。曲未満の断片。モノローグ。ジャズ的即興によるフレーズとは分かるが本当に取り留めない。テーマ即興テーマの形でないのはもちろん、奏者と聴取者が一対一で向かい合う「音楽」ですらない気がしてくるような囁き。そういう予感を補強するのが、時々薄く被せられる「sound image」。この呼び名が秀逸なんですよね。打楽器のサンプリングが遠鳴りしているような音はまだソロを補っているいわゆる打ち込みとして捉えられなくもないのですが、多くはそういう楽器音ではなくて風の音や街の雑踏、会話音だったりとまぁサウンド・スケープなんですよね。バルケのピアノは、繰り返しになりますが、上手いんです。音の鳴りはいいし、曖昧なフレーズは皆無。とてもビビッドです。なのに音楽?の在り方がすごく所在無げ、メタ的な立ち位置を取る。

例えばキースのソロ作でうすーくシンセの音が被ってたら興醒めですよね。でもバルケのこのアルバムはそういうんじゃないんです。純ソロだったら純音楽として聴けるとかそういうレベルの話ではない。そういう意味では以前のソロピアノ作品であるBook of Verocitiesももう一度聴き直してみる必要があるかもです。あれも個人的に消化しきれなかった部分があるのだけど、重ねて聴くと見えてくるものがあるかもしれない。

ECMにしばしばありがちな森(北欧の?)を写したジャケ写はバルケ本人の手によるものです。内容とよくあっている。バルケとアイヒャーの共同プロデュースというのも珍しい。何か喉元に刺さり続けるような印象を残す異色作ですね。

ECM2512

男性ジャズヴォーカリスト、テオ・ブレックマン2017年発表のECM初作品。

ブレックマンのことはWinter & Winterとかで活躍しているらしいというのは聞いたことがあったのだけど、かなり最近にジュリア・ヒュルスマンのアルバムでその声を初めて耳にしました。正直ヒュルスマンのピアノには何も感じるところがなかったのだけどブレックマンのヴォーカルはちょっとした衝撃でした。他がモノクロなのにブレックマンが声を発した周辺だけが、複雑な色合いを帯びている。で、ボーカルなのにビル・フリゼールやベン・モンダーみたいな在り方でトータルサウンドに溶け込んでるんですよ。とんでもない才能だな、と。

で、リーダー作も聴かなきゃと手に取ったのですが、まぁはっきりいって傑作と言って良いと思います。風のような、空気のような、天からさす陽光のような、啓示のような。触れることはできないがはっきりと存在するもの。そんな感じですね。ヒュルスマンのアルバムで感じたものがより混じり気のない形で結晶しています。

リズムの形は割と普通でたゆたったり、気持ちよく疾走したりと言った具合ですが、フロントの3人が素晴らしい。モンダーとマエストロ。現在のジャズシーンでは大物ですが、個人的にはそれぞれのリーダー作にはあんま感心したことないんですよね。ECMのもそれ以外のも聴いているんですけど。モンダーはモワモワしてて腹にたまらんし、マエストロはうるさい割にどこか平板出し肝心のメロディが詰まらない。でもブレックマンの存在をコアにすると2人とも非常に収まりが良いんですよね。いろんなことをして居ても全てがブレックマンのやりたいことを補強する方向に働いている感じがして。

ブレックマンの声はそんなにわかりやすく格好良いものじゃないんです。普通のおっさんぽくて、でもちょっと裏声を使って中性的にも感じられる。音の置き方のセンスが抜群なんです。あの浮遊感はなんなんだと言いたい。

 

思えばECMってその昔はヴォーカルもの自体がほとんどなかったし、男性者に限るとリーダー作はこれが初めてなんじゃないか。でもジャズシーン全体でもエスペランサだとか、歌ものが存在感というか。シーンの中心に来ている訳ですが、ECMもそれに追随しているというか。そういう感じがします。で、ECMらしい作品、成果をどんどんドロップしているんですよね。本作はその代表の一つに挙げても良い素晴らしい者だと思います。

ECM1920

エバーハルト・ウェーバー、生誕65周年を記念した2005年のコンサートを記録したライブ盤。

ヴァイブのゲイリー・バートン、サックスのヤン・ガルバレク、ピアノのブリューニングハウスにパーカッション(普通にドラムを叩く曲が多いが)がマリリン・マズール。中々に豪華なメンバーなのだがマズールがウェーバーと初顔合わせなの以外は、かつてのECM草創期を支えた懐かしいメンバーとの再会となる。

必要な時だけオケを被せるという贅沢な使い方をして、全般にウェーバーらしい見通しの良い透明感を伴った演奏。決して弾きすぎない、味わい深いベースが堪能出来る。

曲目も過去のアルバムから取られており、さながらウェーバーのベストアルバムといった具合。ウェーバーのファンなら文句なしに楽しめるアルバムでしょう。バートン、ガルバレク、ブリューニングハウス。豪華過ぎるサイド達もひたすら普通に美しいソロを取って盛り上げます。

ECMにライブ盤は数あれど、こういうベスト盤的ノリノリなコンサートというと他にはパット・メセニー・グループのTravelsくらいでしょうか。エグベルト・ジスモンチとチャーリー・ヘイデンのデュオなんかもそこに入れてもいいだろうか。とにかく少ない。ラルフ・タウナーなんかもそういうライブやってくんないものでしょうか。

 

このアルバムが彼の総決算のようになっているのは、このしばらく後の2007年に彼が卒中を患い演奏活動ができなくなってしまったことも残念ながら要因としてあるんですよね。この後は過去音源の編集や本人不在のイベントライブとかしか作品を発表していない。

本作にはビートボックスを導入していたりして、新しいことをやっていこうっていう、必ずしも懐古的なだけじゃない面もあるんですよね。それが結果的に生涯の集大成みたいになってしまったのはとても残念なことではあります。御大当年で81ですか。チック・コリアみたいに最晩年まで話題になるような活動を続けられるような人は稀なんでしょうけど。

そういう状況を考え合わせるとタイトルも意味深長ですよね。発売時期を考え合わせると偶然ではないのかもなぁ。

ECM1543

イタリアン・インスタビレ・オーケストラというのはイタリアのフリーよりのビッグ・バンド。18人編成でECMオタだとジャンルイジ・トロヴェッシは知っているとおもうが、私個人としてはあともう1人バリトン他サックス吹きのカルロ・アクティス・ダートくらいしか分からない。確か2000年代初頭に佐藤允彦とデュオのアルバムを出していて、これが腰を抜かすくらいの吹きっぷりで強烈に印象に残ってて。当時彼のリーダー作を聴いてみたくて色々探したつもりだけど入手出来なかったんだっけ。

このバンドはECMにはこの一枚だけなんだけど、いろんなレーベルから(LEOみたいな老舗のフリージャズレーベルとか)2010年までアルバムを出していてそれなりに長いこと活動していたらしい。

アルバムは二つの組曲から構成されていて、どっちも音楽的には似たような感じです。テーマ部分は如何にもイタリアらしい陽気でよく歌うものだったりしんみりするものであったり。ソロの部分はグチャグチャドシャメシャなソロの応酬もありますが、全体的な印象としてはそこまでカオスではない。でもドライブのBGMに聴くというよりはやっぱり居間で座ってじっと耳を傾けないとなんだかよく分からない、という程度には硬派な音楽です。ちなみにお目当てのカルロ・アクティス・ダートが活躍しているのかどうかは正直あんまりよく分かりませんでした…。

アルバム名になっている後半、二つ目の方の組曲はオーネット・コールマンのスカイズ・オブ・アメリカにインスパイアされているらしいんですが、オーネットの方は未聴です。自分が学生自分、コテコテなジャズを聴きまくっていた頃に初めて国内盤が出て結構話題になったんですがフリー派がクラシックに色目を使ってもろくなことにならんだろ…と分かった様な気になって身銭を叩くには至りませんでした。少しだけでもSpotifyで聴いてみようかな。

 

ECM的要素はこれっぽっちもないですが、イタリア人がフリーをやるとこうなるといった感じで楽しめるアルバムではありました。