世界各地に点在する古代文明の遺跡。

現代の我々には完全に理解できない部分も多くある。

まずは、この辺を考察していこうと思う。

 

今回再びこのようなブログを書き始めたのはやはり本による影響がある。

触発されたためであるが、とても興味深い本であり発想の原動力ともなるので

ここに紹介しておく。ジュリアンジェインズ著。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

 

いささか高額の本であるが、古代文明人の精神構造を考察するうえで、二分心という

概念を考案、古代の人類には、自意識というものがなく、自らの心と神々の心が共存

していたという仮説を説く。

左脳の言語野に相当する部分の右脳には言語機能がなく別の機能があるのではないか

という発想から、神の声は右脳の言語野に相当する部分から発せられ、古代人は

当然のごとく神々の声を聞きながら生活していた。当たり前のように神の声と書いているが

さらにこの発想は統合失調症患者の幻聴の考察から来ている。

壮大な失楽園の解説本のような著書だが、得るところが多い。

人類がかつて神とともにあり、失楽園の物語のように神に見放された経緯を古代の

楔形文字や壁画から読み解いていくとても面白い本だ。

この本が今一つ有名でない理由は著者なのか翻訳者なのか分からないが、読み始めの

章がやたらと詩的で哲学的な言い回しが多く、その先を読むのが疲れてしまうからだろう。

私は、かまわずすっとばしてもらったが、内容を把握するのに影響はない。

この著者は続編を書くつもりだったらしいがその前に死んでしまった。

これが自然死なのか、または陰謀論的に真相に近づきすぎてしまったためなのかは

分からない。そのぐらいの価値ある本だと思う。

 

さて、今回の考察では、皆さんの期待に沿えるような結論にはならないかもしれない。

何故なら、いささか疑似科学やオカルトのような説明にはなるが、宇宙人やら

現代文明を凌駕するような超古代文明論といったものは出てこないからだ。

残念ながら(私もがっかりだが)現代文明以上の痕跡は一部を除いてあり得ないようだ。

ただし、神々に関しては期待以上の導きになりそうだ。

 

まずは思考回路。

なんのために、巨大な石を積み上げたのか?

石像や壁画の意味するところは何か?

彼らの崇拝した神とは何か?

生贄の意味することろは何か?

現代の我々には、つまるところ何考えているか分からない。

 

技術的な問題もある。

何トンもの巨大な石を切り、運搬し、高く積み上げる技術。

石と石を紙一枚入る隙もないように並べる技術。

遠くの宇宙の運行や星々の状態を知る技術。

現代でも難しいことが行われていた。

では、なぜ、現代の我々には分からないことだらけなのか?

実際にそれが行われていた痕跡は確実にあるのに?

 

大きな問題は記録がないことだ。

考古学的に考証できる記録は紀元前3000年ほどまで遡れるかもしれない。

しかし、遺跡はそれ以前の文明であり、おそらく文字は一部を除いて

使用していなかっただろう。

もちろん、古い記録や物語の中から先史時代の一端を知ることはできる。

それは古代文明の人類が書いたものではなく、言い伝えなどを頼りに

物語化されたものでしかない。現代人の思考回路の人類が書いたものに過ぎない。

ここで隔絶されてしまう。

さらに、紀元前後に多くの記録が消滅する事件も起こっている。

有名なのは当時世界最大のアレクサンドリア図書館がローマ帝国やイスラム教徒によって

消滅させられた件だろう。中国で起きた始皇帝の焚書坑儒も同時期に近い。

まるで、古代文明時代の人類の記録を現人類が無かったことにしたいかのようだ。

実際この見解は正しいかもしれない。古代文明人と現代人との精神構造ま全く異なる

可能性が高いので、現代人が過去の祖先の行いを恥じて記録を抹消した可能性が高い。

 

かなり後代になるが、聖書の十戒にその一端が伺える。

有名な、隣人を殺すなかれ、汝姦淫するなかれの一説だ。

特に姦淫するなかれの部分はネット検索しても表面的なことしか解説されていないのが

面白い。聖書では書かれているのに何か工作があるのだろうか。

要はこうだ。

・隣の人を殺してはならない。

・隣の家を奪ってはならない。

・自分の娘を犯してはならない。

・自分の孫娘を犯してはならない。

・他人の妻を犯してはならない。

実際に書いてあるし、この十戒が書かれる前は当然のごとく行われていた行為のようだ。

裏を返せば、現代人の倫理観ができる前の人類にはこの倫理観はなかったということだ。

そのまま古代人の精神構造に繋がる。近親相姦は当たり前だったのだろう。

これは、創世記時代や神話時代では人々、神々が当然のごとく行っていた記述があるので

否定できないだろう。

話は脱線するが、この近親相姦という行為、適切な血統の配分をすれば、物凄い天才が

生まれる。それこそギリシャ時代の大天才クラスが生み出された背景にもなりそうだ。

この血統配分の話がベンジャミンフルフォード著のナチスの亡霊の優生学の項に詳しい。

場合によると、現代の技術を凌駕する一部の技術は近親相姦によって生み出された

これら大天才によるものだったのかもしれない。

 

殺人の観念も大分違ったことだろう。人を殺すという行為自体、現代の我々とは違う

理念で行われていた可能性が高い。その一端が生贄の習慣だろう。

生贄には動機が二つほど挙げられる。

一つは、神に捧げる行為として。

一つは、人柱のような守護神となるための殉死のような形態。

現代とは異なる精神構造の場合、死に対する感じ方も違ったものだっただろう。

 

今日はここまで。