いつも「あいだ」に立ってきた気がします。

 



家庭の中でも、
職場の中でも、
誰かと誰かの、言葉や想いの“あいだ”。

 

 

伝わらないもどかしさや、
代弁したくなる気持ち、
でも、自分の気持ちは後回しになってしまう──

そんな「言葉にならなかった日々」を、

あなたも抱えてきたことがあるかもしれません。

 

 

 

僕が最初に“あいだに立った”記憶は、小学生のとき。

両親が離婚危機を迎えていた。

子どもながらに「このままじゃダメだ」と思い、
大泣きして、止めに入ったことを覚えています。

あれは理屈じゃなかった。

 

 


ただ、「この家族を結びたい」と心が動いた。

いま振り返れば、あの瞬間が
リエゾン(縁結び役)としての原点だったのかもしれません。

 

 

最近、その“役割”に、やっと名前がつきました。

僕は、ただの営業でも、講師でも、コンサルでもない。

“あいだに立って、結び直す人”──リエゾン(縁結び役)だったんだと。

 

 

 

だから、今あらためてこのブログを再始動します。

「誰かのために働きたい」
「心と現実を結ぶ仕事をしていたい」

そう願いながらも、
迷ったり、傷ついたりしながら、
でも懸命に“あいだ”に立ち続けるあなたへ。

 

 

 

この場は、
そんなあなたの“橋”になるような言葉と問いを
少しずつ、置いていく場所です。

 

 

今、あなたが“あいだ”で揺れているなら。

それは、
あなたの中に眠る「結ぶ力」が
目覚めようとしている証かもしれません。

 

 

 

この5月。
一緒にまた、歩きはじめましょう。

 

#リエゾンの言葉
#あいだに立つ人へ
#働く意味を結び直す




続けていれば、何かになると思っていた。


ブログを書き続けることに、意味があると思っていた。



でも、ふと手が止まった。


テーマが揺れるたびに、「人が離れたかもしれない」と思った。

ランキングが伸びないたびに、「このままでいいのかな」と不安になった。 


未来個性学。

若手支援。

魂のこと。キャリアのこと。 


どれも大切なのに、

なぜか“つながっていない気”がして、筆が止まった。


それでも――

やめたいわけじゃない。書きたくないわけでもない。


 

むしろ、「本当は書きたい」。


 


ただ、「何のために書くのか」が、

わからなくなっただけだった。


 


 


収益のため?

誰かのため?

自分の整理のため?

未来につながるため?


 


たぶん、どれも“正解”なんだと思う。


 


でも今の私は、

「魂が本当に喜ぶ選択かどうか」で、書くかどうかを決めたいと思った。


 


 


評価じゃなくて、納得。

数じゃなくて、感覚。

「喜ばれた」じゃなく、「喜べた」かどうか。


 


 


立ち止まったのは、

前に進めなくなったからじゃない。


 


もう一度、自分の“在り方”に、静かに問い直すためだった。


 


 


そんな今の自分を、まずは残しておこうと思って。

この記事が、誰かの“立ち止まり”の肯定にもなればうれしいです


 


また、ここで会いましょう


うまくいかなかった日

誰にも気づいてもらえなかった日


 





心のどこかで、

こんな言葉が浮かんでしまった


 


 


「どうせ私なんて」


 


 


言いたくないのに

言いたくなかったのに


 


でも、気づいたら

口の中で呟いていた


 


 


ほんとは、

ただ、誰かに認めてほしかっただけなんだと思う


 


「よく頑張ってるよ」って

「あなたのこと見てるよ」って


 


 


ほんの少しの言葉が、

心を支える日だってある


 


 


だから私は、

自分の中の「どうせ私なんて」に、そっと言ってあげたい


 


 


「そのままで、ちゃんと大丈夫だよ」って


 


 


誰にわかってもらえなくても

今日もここまで来た自分を

ちゃんと肯定してあげたい


 


 


あなたの中にも

そんな“声”が浮かぶときがあるなら


 


その奥にある、“ほんとの気持ち”を大切にしてあげてほしい




また、ここで会いましょう


まじめにやってるつもりだった

ちゃんと向き合ってたつもりだった


 


なのに――

うまくいかない日があった


 



 


結果が出ない

評価されない

誰も気づいてくれない


 


そんなとき、

心の中でふっとこぼれる言葉があった


 


 


「ちゃんとやってるのに」


 


 


誰かのために

ちゃんと考えて、動いて、我慢もして



それでも伝わらなかったとき、

なにより先に疲れていたのは、自分の心だった


 


 


でも最近、こう思えるようになってきたんです


 


 


「ちゃんとやってる」は、まず自分がわかってあげたら、それでいいんじゃないかって


 


 


誰かに証明しなくても

誰かに気づいてもらえなくても


 


今日の自分に、そっと言ってあげるだけでいい


 


 


「ちゃんとやってるよ」って


 



 


 


あなたは、

誰にも言えなかった「ちゃんと」、持っていませんか? 


その気持ち、大切にしてあげてくださいね✨



また、ここで会いましょう


“応援される人”に

なりたいと思った日

ふと、ある人を見て思ったんです


 


なんでこの人には、

こんなにも人が集まるんだろう?


 


 


特別なスキルがあるわけじゃない

派手なことをしてるわけでもない


 


でも、自然と

「応援したくなる」人って、いる


 


 


その人を見ていて気づいたのは、

“誰かのために動くこと”を、

楽しんでる人って

ちゃんと伝わるんだなってこと


 


 


応援される人って、

すごいことをしてる人じゃない

心を込めて生きてる人

なんだと思った


 


 


だから私も、

人から「応援されたい」と

願うより、


 


「誰かの応援を自然に

受け取れる人」に

なりたいと思った


 


 


自分を偽らず、

誰かと競わず、

目の前のことに、心を込めて向き合っているとき――


 


きっと、そんな“光”は

少しずつ、まわりにも伝わっていくんだと思う


あなたのその頑張りも、

ちゃんと誰かの目に映ってるから


 


また、ここで会いましょう

“私らしさ”って、なんだろう



誰かに「あなたらしいね」って言われたとき、

少し、うれしかった



 


でも、ふと考えてしまった


 


 


“私らしさ”って――

いったい、なんだろう?


 


 


笑っている私?

がんばっている私?

相手に合わせて、うなずいてる私?


 


 


どれも、私なんだけど

どこか“誰かの期待に合わせた私”だった気もして


 


 


ほんとうの私は、

どこにいるんだろうって思った


 


 


でもね、最近すこしだけ思うのは、

“私らしさ”って、

「こうあるべき」じゃなくて「こうありたい」から始まるんじゃないかってこと


 


 


無理をしているとき、

自分を責めているとき、

本音を飲み込んでいるとき――


 


そんなときは、

ちょっと“私らしさ”から遠ざかってる合図なのかもしれない


 


 


だから私は、

「どう見られたいか」よりも、

「どう在りたいか」を選びたい


 


 


少しずつでいい

すこしずつ、でいいから


 


 


“私”に戻る練習を、

これからも、続けていこうと思う


 


 


また、ここで会いましょう








 

「うん、大丈夫です」
「任せてください」

 

 

口ぐせみたいに、
いつもそう言っていた気がする

 

 

本当は、ちょっとだけ無理してた
でも、断るのが怖かった

 

 

 

「嫌な人だと思われたくない」
「がっかりされたくない」
「いい人でいたい」

 

そんな気持ちが、
私の“断る勇気”を奪っていた

 

 

 

でもある日、
スケジュールが限界を超えて、
心も身体も追いつかなくなったとき、気づいたんだ

 

「ちゃんと断れない」って、
 誰かの期待を裏切らないために、
 “自分”を犠牲にすることなんだ
って

 

 

 

ほんとうに大切な人とつながるために、
ほんとうに自分を守るために、

 

「ノー」って言えることは
優しさなんだと思う

 

 

少しずつ、できるようになってきた

 

 

笑顔のまま、
静かに、でもはっきりと

「今回はごめんね」って

 

 

あなたにも、そんな勇気が
少しずつ芽生えていきますように

 

また、ここで会いましょう

 

 

 

 

「頑張ってるね」って、
言われたかっただけなのかもしれないショボーン

 

 

でも―― 

その言葉、
なかなか届かなかった

 

 

 

 

毎日、遅くまで働いてショボーン
誰よりも早く出社してショボーン
頼まれごとには、いつも全力で応えてショボーン

 

 

 

それなのに、
「ありがとう」も、「助かったよ」も、
聞こえてこなかった

 

 

 

 

自分の頑張りが、
誰にも伝わっていない気がして
心が、少しずつ疲れていったえーん

 

 

でも、、、

 

 

 

ある日ふと気づいたんだ

 

 

 

 

 

「頑張ってるつもり」が、
相手にとっての「助け」になっているとは限らない

 

 

 

私がしていたのは、
「自分のための頑張り」だったのかもしれない

 

 

 

 

それでも、
その頑張りを見てくれている人は、
きっとどこかにいる昇天昇天昇天

 

 

だから、

 

 

 

 


誰かのために頑張る前に、
自分の心にも、
「ありがとう」を伝えてあげよう

 

 

 

 

今日も、よく頑張ったね。
(静かに、深呼吸)✨

 

 

 

 

【連載:ちゃんとやるって、誰のため?】

第12話「“頑張ってるつもり”が、伝わらなかった日」

 

 

image

 

「これが、私の夢です」って、
胸を張って言ってたあの頃の自分

 

 

 

 

 

 

でも――

 

その夢、本当に“私のもの”だったんだろうか?

今もそんな風に思えているのだろうか?

 

 

憧れてた人が言ってたこと
先生や先輩がよく話してたこと
誰かに褒められたときの、うれしさ爆  笑

 

 

 

気づけばその全部が、
“私の夢”みたいな顔をして
私の中に住みついていたショボーン

 

 

 

「目指したい」「近づきたい」と思った気持ちは、
たしかに本物だった。

 

 

 

 

でも・・・・

 

 

 

 

「似合ってるから」
「向いてるって言われたから」
「期待に応えたかったから」

 

 

 

 

そんな理由が、いつの間にか夢の“土台”になっていた気がする。

ふと立ち止まったとき、身体よりも、心が疲れていた。

 

 

 

あれ、これって、
ほんとうに“私の望んでた未来”だったっけ?

 

 

 

そう問いかけたそのときから、
私の
“本当の夢”が少しずつ、動き出した気がする 

 

 

 

夢は、守るものじゃなくて、
時々「問い直すもの」かもしれない。

 

 

あなたが今、追いかけている夢は、
ちゃんと“あなたの気持ち”とつながっていますか?

 

 

 

 

 

 

『人のための人生ではなく、

 自分のための人生を生きれていますか?』

 

 

 

 

 

たまには、立ち止まってみてもいいよね
(静かにふぅ…)✨



 【連載:ちゃんとやるって、誰のため?】

第11話その夢、ほんとうに“自分のもの”だった?



 

 

【連載:ちゃんとやるって、誰のため?】


第10話:「“熱量”が、空回りしていく感覚」



伝えたいことがある。

届けたい想いがある。

だから、一生懸命に言葉を選んで、行動して、動き続けた。




でも、ある日ふと感じてしまった。


(…あれ、なんか空回りしてる)

(こんなに頑張ってるのに、届いてない気がする)


目の前の相手の反応が薄かったり、

組織のスピードについていけなかったり。

自分だけが焦っているような、

取り残されるような孤独がそこにあった。




かつては、熱量が自分の原動力だった。

でも気づけば、それが重たく感じるようになっていた。


「想いが強い人」と見られることはあっても、

理解されるとは限らない。


そして、理解されない熱量は、ときに痛みに変わる。




でもね。

それでも私は、熱を手放したくなかった。


ただ、それを「ぶつける」んじゃなくて、

“灯す”ように使えばいいんだと、途中で気づいた。


誰かのペースに合わせながら、

そっと火を分けるように。

焦らず、急がず、でも消さずに。




あなたの“熱”は、今どんなふうに使われていますか?

誰かに届けたい想いがあるなら、

まずは、自分の内側の火を見つめてみてください。


次回は、

「“もう頑張れない”と思った瞬間」

というテーマをお届けします。


またお会いできるのを、楽しみにしています。