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東大和市行ったり来たり

東大和市内を気ままに散歩します

 

 かって、東大和市駅の近く、高架線のすぐ北側にお稲荷さんがありました。



  江戸時代から、笠森稲荷(かさもりいなり)と呼ばれて、疱瘡(ほうそう)の「かさぶた」にちなんだのでしょうか、「カサをおとり下さい」とお願いすると、どんな病にも霊験があるとのことで、地元だけでなく遠くからもお参りに来ました。東大和市内高木に、もう一つの笠森稲荷が祀られていますが、青梅橋のお稲荷さんにお願いして病が治った方が高木の自宅に勧請されたものです。天保7年(1836)のことです。

 

 天保の頃は、疱瘡は命取りの病でした。

 

 武蔵村山市中藤の指田氏が残した指田日記には

 天保7年1月12日、中藤村○○疱瘡湯流し。○○の娘、疱瘡にて死す

     1月26日夜、○○娘、疱瘡にて死す

     3月3日、中藤入り○○娘疱瘡湯流し

     3月7日、東隣小児疱瘡湯流し

     3月21日、東隣小児、疱瘡にて死す

 と、「湯流し」という、修験の行で病魔退散、病気回復を願います。しかし、それも叶わず、死亡する子供達が多かったことを伝えます。今では考えられませんが、祈りは真剣でした。

 

 お稲荷さんは江戸時代にはもっと南の青梅橋のたもとにあって、青梅街道を旅する人々もホッと一息入れて、お参りしたことと思われます。その状況は、天保5年(1834)発行された『御嶽菅笠』に描かれています。東大和市駅南口を降りると、青梅橋交差点の駅側に、小平市の案内板があります。版木から複写された図が載せられていて、当時の雰囲気を良く伝えます。

 

 現在は、鉄道の高架化、駅前広場の整備によって、図の場に遷されています。東大和市駅近くの小平市の方々がお大切にお守りしています。