話がだんだん、ちがう方向にいっているような気がするので
できるだけ本筋に話をもどせるようにと。。。
2003年の秋、週一回日曜日に中国語教室に通い始めた。
仕事中も車で移動中はずっと中国語のテープを流して
勉強をした。簡単な会話と基本発音くらいであるが、
週一回くらいの勉強で中国語が話せるようになるはずもなく
ただ、中国へのモチベーションを保つくらいのものである。
結局は1年くらい続けたのだが、1年後になっても
大したレベルではない。
英語を中学校から勉強して、しゃべれるようにならないのと
同じで、日本にいる限りは外国語なんてしゃべれない。
中国にいてすごいと思うのは、一度も外国にいったことが
ないのに、英語や日本語がぺらぺらな人がたくさんいる。
この違いはなんだろうと。
そんなある日、本屋で立ち読みした雑誌に、
中国に留学している学生の特集記事を読んだ。
これからは中国の時代が来ると。。。
広大な土地、13億人もの人口、豊富な資源!!
当時BRICS(ブリックス)と呼ばれる言葉をよく耳にした。
(今でもよく耳にするが)
B→ブラジル、R→ロシア、I→インド、C→チャイナ、S→複数形のS
これからの世界経済をリードしていく、
国々をさす言葉である。
それらの国はすべて先ほどの3つの条件に当てはまる。
中国に未来と希望を感じた瞬間である。
行こうか!!と思った。
行けるのか!!とも思った。
会社を辞めるということは!!と考えた。
当時私は、とある大手コンビ二の
スーパーバイザー(店舗運営コンサルタント)
をしていた。仕事はそれなりに、楽しかった。
8店舗のコンビ二オーナー様の店舗運営、
経営指導をする仕事である。
大阪府八尾市の方の店を担当していた。
そんな八尾の街並みを、
店舗巡回のため車を走らせながら
助手席にはラジカセを置いて、
中国語のテープをながしながら中国への
未来に夢と希望を抱いていた。
当時、会社の同期で、H君というやつがいて、
彼は入社して以来一貫して、数年したら経ったら会社を
辞めてタイへ行くといっていた。
タイ大好きっこだったのだが、彼もそんな夢をもっていた。
そんな彼とその頃よく店舗巡回中に待ち合わせて、
八尾のとある公園でコンビ二弁当をたべながら
語り合った。
『海をわたろうぜ!!』
『八尾から世界へ』
とかいいながら、夢を語り合った。
そしてまた、ご飯を食べ終わると互いに
店舗巡回を続けた。
2003年、秋が終わり、冬が来ようとしていた。
先ほど、『24』シーズンⅥどうにか、
やっつけました。頭の中がまだ興奮しています。
1日ワンクリックで応援をお願いします。