人生どうでも飯田橋

人生どうでも飯田橋

日々のあんなことこんなこと、書くよ

Amebaでブログを始めよう!

「それでは質問がある方はいらっしゃいますか?」

 

 

どうやら私たち就活生はこの台詞を聞くと右腕の疼きが止まらないようである。

 

 

「よろしいですか。」

「はい!」

 

 

と威勢のいい声が会場に響き、早押しクイズの要領で“ピン”と手を挙げる。まるで猫のしっぽだ。私より声がデカイじゃないかと苛立ち、絶対に必要のないプライドが傷つけられる。

 

 

そもそも、大学の講義中に一度でもそんな風に手をあげたことなんてあるのかと思ってしまうほどである。

 

 

説明会の回数を重ねるごとにさぞかし饒舌になったでろう人事の方々は、学生たちの紋切型な質問に一つ一つ丁寧に答えている。

 

 

職人を務めてもうまくいきそうだなあと心の中でつぶやいていると手はとめどなく上がり続ける。

 

 

「あぁ、人事の方々は毎年毎日同じ質問に答えるんだ、質問する側もよくよく考えないとだめだよなあ、退屈だよなあ。」と思い人事の方に目を向ける。

 

 

すると話の流れで出てきた『トウドケイ』とは一体何か分かるか、と私に質問してくるではないか。

 

 

面食らった。

 

 

トウドケイ』とはなんだ?トウドと聞いて永久凍土しか出てこない。

 

 

ボキャ貧をこれ程恨んだ瞬間はない。

 

 

小中学校の頃、国語の教科書を一度でも真面目に読んだことはないから仕方がないと心の中で開き直る。覚えているのはクラムボンくらである。

 

 

でもまあ、凍った地中の温度を測るヤツだろうとひどく納得したので、震える声でそのように答える。

 

 

するとどうであろう。凍ったのは会場の雰囲気で、「コイツは馬鹿だ」と言わんばかりの視線を感じ、人事の方の『糖度計』との指摘とともに一気に冷笑が巻き起こる。

 

 

馬鹿を露呈させた瞬間であった。

 

 

 

「人生どうでも飯田橋」

 

一度はどこかで聞いたことがある方もおられると思います。

 

井戸端会議のさなか

何気ない学生同士の会話の中

人間の本性がむき出しになる飲み会の場

はたまた終電で酔っ払いが叫んでいたかもしれません

 

 

私はこの言葉が大好きです。

 

 

一見、人生をあきらめたゴリゴリの悲観主義者ではないかと思われるでしょう。

 

 

確かに大変悲観的で、失敗する未来を毎日描き、悶々とし、割と小さなことにも一喜一憂しやすいタイプではあります。

 

 

私の中で「悲観的」であることはこの世に生を受けてから一切変わることがありませんでした。

 

 

そりゃあ、私自身の中で論争は多々ありましたよ。

 

 

治すべきだ、維持すべきだ、改善しようと事あるごとに悲観的な自分とそうではありたくない自分は戦っていました。

 

 

けれどもベースが悲観的なので、治すことにも結局ネガティブなのです。

 

 

もはや神学論争のレベルで、一度も改正されることなく存在し続ける日本国憲法に親近感を覚えるほどです。大先輩ですね。

 

 

しかし、私は肯定的な悲観主義者であると自負していますので、厳密には少し異なると勝手に思っています。

 

 

はたまた、自分が飯田橋を拠点としていることも好感を持つきっかけとなった要因です。

 

 

申し遅れましたが、私、時間を大変高額な授業料で購入している大学生をしています。

 

 

ほんと、大学生とは世間様から見れば、ぬるま湯に浸かってるわりに口を開けばそれはそれは熱い熱い理想や夢ばかりを語り出す厄介な存在だなと思のです。

 

 

大学生の社会貢献といえば、居酒屋で飲み放題食べ放題をし、オールでカラオケボーリング、始発がないからタクシーに乗車することでなけなしの金を落として、日本経済に微力ながら活力を与えることくらいでしょうか。

 

 

もちろん、大変優秀な学業成績を残し、これからの活躍が大いに期待される方々もおられるでしょう。

 

 

少なくとも私はそのような人材ではありません。

 

 

そんなこんなで、日々の生活で感じたこと起こった出来事を中心に書いていきたいと思います。

 

 

長々と失礼いたしました。