おはようございます。
日本にいる皆さまには「何を今さら(笑)」って思われるかもしれないが、最近になって「メシマズ嫁」という言葉を知った。
読んだそのまんま、料理の下手な嫁ってことなんだが、そこには食べたら生命の危機にいたる料理を作る嫁も含み、「ポイズンクッキング」とか言われることもあるという。
震撼した。
全身ガクブルだった。
それは、俺だ。
いや、結婚もしていないので、「メシマズ中年(背脂マシマシ)」だ。
日本にいたらマジ危なかった。
完全に「メシマズ中年」という「メシマズ嫁」の下の段に位置するカテに入れられるところだ。
あっぶねー!
しかもネットで「メシマズ嫁」をチェックしてみると、もはや旦那を殺す気しかないだろうと思われる強烈なメシマズ嫁(アサシン)が出てくる出てくる・・・日本には星の数ほどメシマズ嫁がいるのかと感心する程である。
試しに「メシマズ夫」という言葉でチェックしてみたんだが、全くヒットしない模様。
じゃあ、日本にはメシマズ夫はいないのかよ、ってか夫はメシがまずくて普通かよ、と面倒臭いフェミニストのようなことを言い出す前に自分のメシマズについて書いてみよう。
どうして私の作るメシは不味いのか。
まず、何かの分量が必ず間違っている。
若い頃の話だが、隠し味が隠れていなかったり(例:コーヒーの味が前面に出たカレー等)、あるいは塩辛くて誰も食べられないパスタ(※自分以外)など、何かの分量が絶対間違っている料理を作っていた。
これは計量カップなどを使えば済むことなのだが、その時期の自分は「目分量」教を信仰しており、計量カップなどを使うことは邪道だと思っていたのだ。
あとはそもそも計量カップもスプーンも持っていなかった。
あとは火力や調理の順番が間違っている。
恐ろしい火力で焼きそばを焼いたため、半分は焦げ、半分は生焼け。ソースが絡まず、不思議な玉を食べることになったことや、餃子の下部分は炭と化し、上半分はやはり生焼けだったため、「モノトーン餃子」を作ったこともある。
なぜ、生焼けと焦げの中間に収まることができないのか。
また、何か重要なことが間違っている。
ずーっと昔につきあっていた人にチャーハンを作り、電子レンジに入れておいて「チンして食べて」などとメモを残しておいたのだが、後から「チャーハンから糸を引いていたけど・・・」と指摘を受けた。
もはや味以前の問題だ。
いや、夏じゃなかったし。
増してや納豆チャーハンでもなかった。
腐るか、2時間くらいで?チャーハンが?
本気で「俺、スパイダーマンじゃね?」と疑うところだった。
いや、ここまで言っておいて何だが、私にとって私の料理は食べられる範囲内だ。
ただし他人のメシの方が100倍美味いだけだ。
私の成績は普通なのに、クラス全体が出来がいいから紛うことのないドべになってしまったようなもんだ。
冒頭に書いたことと矛盾するが、日本にいた時はメシマズで良かった。
日本には美味しい食べ物屋さんが近所に溢れていたし、たまに作る方が材料を一から揃えねばならないため経費がかかる。
若い女が料理を作る時といえば、気になる男性に頼まれて、などということが挙げられるが、その局面で私はコンビニのサンドイッチとミニサラダを買って、さも自分が作ったかのように弁用箱に詰め替えた。
サンドイッチにわざわざ無様な切込みまで入れて手作り感を演出したが、今考えてみれば、一口でバレていたに違いない。
確実に「こいつ、ヤベエぞ」と思われたし、それで何とか誤魔化せたと思っていた自分にも驚きだ。
メシマズの上に料理詐称とあれば、未だに嫁に昇格されていないのも頷ける。
友人も私が料理を作らないこと(=メシマズ)を知っていて、持ち寄りでパーティなどという時には、私を「フルーチェ担当」としてくれた。
(もちろん牛乳の量は目分量である)
親には言えない話だが、私が長年暮らしていたアパートのガスコンロはお湯を沸かす以外に使用したことがなかった(←実話)。
しかしダーウィンに来て状況が一転、自炊するしかないという苦境に陥った。
今でこそ美味しいレストランなどが増えたが、私が貧乏学生で来た当時、近所で夕食を提供する店は、パブ(飲み屋)かファストフード(マクド、バーガーキング=ハングリージャックス、ドミノピザ)かタイ料理屋のみで、その頼みの綱のタイ料理でバイトしていたため、仕事場に行かない限りたいした選択肢がなく、またお金もないため、外食などできなかったのだ。
最初はタイ料理屋でもらった白米(ジャスミンライス)に醤油などをかけて誤魔化していたが、なんとかちょっとずつ自炊を始めて今に至る。
しかしやはりメシマズはメシマズ、他の人の料理を食べたらやはり100倍美味いし、特に家庭料理ってか、野菜が多めの丁寧に作られた料理を食べると魂まで浄化されたような気持ちになる。
さて、このブログを何度か読んで下さっている方にはもう慣れっこかもしれないが、ここまでの文章、全ては前書きである。
はっきり言って、今まで読んでくれたものを全部忘れてしまってもなんら差し障りがない。
ここまでの時間と努力を無駄にしてごめんな。
そんなこんなで、「うまいものが食べたぁ~い!」と早く人間になりたぁ~い妖怪ベムなみの強い願望をずっと持ってきた。
それには自分で作るものではダメだ。
昔に比べれば上達したし、もうアサシン並みのメシマズではなく、平凡なメシマズなのだが、雑な性格が災いして、どうしても何かが微妙に間違ったものを作ってしまう。
ちなみに今日も家人に「君の切った鶏肉はどうしてこんなにもサイズが違うのだろうか」と綺麗な眼で聞かれてしまった。
そして、野菜を切る、炒める、味付けをする、盛り付けをする、そこに目玉焼きをのせる等、鶏肉を切ること以外全ての工程を行ったのは家人であり、私のやったことと言えば、鶏肉を不揃いに切っただけである。
そんなどうしようもない僕に天使が弁当を持って降りてきたのである。
そう、宅配弁当(日本料理)サービスである。
しかもダーウィンで。
ロゴ。ね、日本でしょ。
Bento-ya Japanese Chef and Meals Delivery Service
(FBへのリンクはコチラ)
デリバリーは朝早くか夕方の早い時間になります。
注文は前日までにお願いしますとのこと。
もちろん、妖怪ベムの自分は即注文。
届いたのはこのお弁当。
おにぎり弁当(鮭と梅)、厚焼き玉子(ほうれん草入り)、もやしとゴマ油のサラダ、イモのソテー、キュウリの漬物、ブドウ、サラダ
海苔は別の入れ物に入っているので、食べる前に巻いてパリパリ!
抹茶キットカットまでついてきた!でもこれは特別おまけだと思われる
まあメシマズの自分が悪いんだが、慢性的に肉食メインで野菜不足の俺。
ってか、うちの食卓は肉(例:ステーキやポークソテーやら)がメインで後はサラダってパターンが多く、でかい肉の塊を食べたらサラダまで行き着かないことも多い。
日本にいた時はそんなに肉を食べてなかったはずなのに、何食べてたんだろ、って思っていたんだが、このお弁当で思い出した。
肉が少量入った野菜料理を食べていたんだな(居酒屋か大戸屋で)。
このお弁当は野菜がメインだが、タンパク質も炭水化物も繊維もビタミンもすべて補っている。
完全食である。
これだけ食べていれば生きていける。
と言うか、150歳くらいまでうっかり生きてしまいそうだ。
あとは量だ。
一品一品は決して多くないので、家人などはお弁当を見た時、「そのお弁当を食べた後に(まだお腹がすいてて)ハンバーガーとか欲しくなるんじゃね?」とか言って、小さめのハンバーガーまで買って来てくれたのだが、気持ちは嬉しいものの、いらねーよ。
色んなものをちょっとずつ食べて、お腹いっぱいになる感覚を久しぶりに味わった。
なにしろこのお弁当、見た目も綺麗だ。
私の友人に何を作っても泥みたいに見える料理を作る人がいて、味はホントに美味しいんだけど、見た目がまじで泥。
私は美味しければ、あとマジ泥のようにバクテリアと微生物の宝庫でなければ、泥を食べてもまったく問題ないのだが、このような弁当を見ると、「見た目も美味しい」などとうまいことを言ってしまいたくなる。
泥は正直、俺がシュレックでもない限り、見た目は不味いだろう。
あと食後の「あ~、健康になった!」と、この一食で昼間のケンタのフラチンがなかったことになるわけでもないのに、この帳消し感。
オーストラリアの日本料理店でよくあるのが料理人が日本人ではないことで、ま、日本人でなくとも問題ないっちゃないのだが、ってか日本人でも私が作った料理に比べればコアラの方がましな日本料理が作れるんじゃねえの、って思わなくもないのだが、この弁当サービスの料理人は日本人である。
だからか、外国の日本料理で必ずと言っていいほど見かける鉄板メニューの「テリヤキチキン」(照り焼きソースを絡めただけ)や「鳥の唐揚げ」や「タコ焼き」(冷凍。揚げるタコ焼き)が今のところメニューにない。
美味しけどどこか懐かしい、丁寧な家庭料理だ。
しかも料理人・マネージャーは「グルテンフリー」や「ベジタリアン」にも応じてくれるらしい。
私はどっちでもないが、肉食の街ダーウィンでグルテンフリーやベジタリアンの店はなかなか見つからないので、嬉しいはずだ。
ああ、書いていたらまた弁当のことを考え始めてしまった。
今週はいつまた注文しようかな・・・。
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