おはようございます🌞
まだ続くのかと呆れる驚きの手術の話、まさかの第五回目です。
皆さまの言いたいことはよーく分かります。
驚きとか調子に乗りやがって、ここまで引っ張ったのはおめえじゃねえか。
なんだ、イタコ系作家(不思議ちゃん)のつもりか?
因みに続けてと頼まれてもいないし、脅迫されてもいない。
なのに敢えて続けている。
嫌がらせ?
嫌がらせついでに報告すると、今週から仕事も再開し、その為にパンツを新調した。
ゴム部分が傷口に当たらない、へそまですっぽり、巨大な妊娠してもいないのにマタニティ用のパンツだ。
パンツを履いた自分を見てハッとした。
馬場さんのパンツは本当に巨大だった。
本人も巨大だったからパンツも巨大であって然るべきであろう。
馬場さんと言えば、忘れもしない1998年、ジャイアント馬場さんの引退試合に行った。
当時はプロレスや格闘技が大好きで、グレート•ムタの毒霧吹きの真似など、飲み会の席で嬉々としてやっていたのだ。
本音を言えば当時、年頃の女性らしくモテたいと思っていたのだが、
「私はあゆ(浜崎←当時、浜崎あゆみの人気が高かった)の真似するより、むしろムタで!こんな私を好きになってくれる人がいたら本物
」

という少女マンガ風白昼夢を見ていたのだ。
本物ってなんだ、本物のキチ●イか。
もちろん、毒霧を吐く嫁が欲しいという本物のキチGuyはやって来なかった。
むしろやって来なくて良かった。
黒歴史とはこうやって作られるというお手本みたいな話である。
さて、前回の続きだ。
手術が終わった当日、食事を手が届かない所に置かれてしまった。
手元にはナースコールのボタンがある。
しかし、こんなことで忙しい看護師たちを呼ぶのは気が引けた。
私の隣のベッドに明らかに私よりも重傷な患者さんがいた。
彼女は強い痛み止めを服用していたのだが、それが合わないようで、しょっちゅう吐き気を催しており、その時もウゲッ!ウゲッ!
と尋常ではない声を漏らしていた。

カーテンで仕切られて見えないが、隣が大変な状況であることは明らかであった。
もちろん彼女はナースコールのボタンをとっくに押していて、ビーッビーッという耳障りな呼び出し音が病室に鳴り響き、目の前のオレンジのでっかいライトは点滅を繰り返していた。
しかし看護師さんは忙しいのか一向に来ない。
隣のウゲッ音はますます派手になっていく。
飛行機の中で「お客様の中でお医者様はいませんか?」とアナウンスされた心境だ。
医者じゃないから私には何も出来ないが、頼むから誰かこの人を助けてくださいと祈るような気持ち。
待てよ、ここは機内じゃない。
医者の巣窟、病院なのである。
せめて看護師が近くにいるか見ようと、ベッドを起こすために、ベッドの背上げボタンを押した…つもりだったのだが、
間違ってナースコールのボタンを押してしまう。
誤爆!
この状況で痛恨の誤爆。

私のベッドの前のライトも点滅し出した。
ダブルビカビカのライトと呼び出し音でまさにここだけ確変連チャン騒ぎである。
そこでついに看護師さんが駆けつけてくれたのだが、誤爆のショックと隣の騒動のお陰で、食事のトレイのことを頼みそびれてしまった。
食欲もないしで一日目の食事は諦めたのだった。
しかし隣の患者さんは諦めない。
具合の悪い時はもちろん、治療に関する質問だとか、テレビを見たいとか、空調が効かないとか、テレビのボリュームが小さいなど どうでもいいこと でナースコールのボタンを連打していた。
そのたびにビービー音とライト点滅である。
病室に来るのに時間がかかる上に、看護師たちは「あ、リモコンがない!」と探しに行ったきり、帰って来なかったりする。
そんな時には再度お呼び出しボタンである。
隣の人は見えないのだが、時折聞こえる舌打ちなどで激おこなのがカーテン越しにビンビン伝わって来た。
私には関係ないことを知っているものの、関東平野一の小心者として、隣のイライラしている人の存在だけで、病人が抱えるべきではないストレスを蓄積していた。
テレビも付いたら付いたで、消すことも看護師なしでは不可能だ。
目障りなので、私は家でテレビをほぼ見ないのだが、病室ではテレビは共用で、私の意図とは関係なくテレビはつけられていた。
隣の人のイビキを聴きながら、何故か深夜の2時に、よりによって見たくもない車が頻繁に爆発するアクション映画をうるさくて眠れないため見た夜もある。
病院なのにちっとも休まらない。
看護師さんに薬を頼むついでにテレビを消してくれと頼んだのだが、またもやリモコン探しの旅に出たまま行方不明になり、リモコンも私の薬の件もすっかり忘れてしまったようであった。
そもそもなぜリモコンが各部屋にないのか。
このように、何も言えなくて…夏…秋冬春の小心の私だが、入院中は大胆になることもあった。
私はパジャマ持参ではなかったため、病院で支給された入院着を着ていた。
ボタンもなく、後ろの紐で縛るタイプのヤツだ。
もちろん下着など着ていないので、裸でエプロンつけた感じ、と言えば聞こえは良いが、実際はフネさんの割烹着姿、ただし全裸で、を想像してもらえれば話が早い。
・・・いや、話は早いかも知れないが、即座にフネさんの全裸が想像できた人は、逆に事案、である。
専門科に相談することをお勧めする。
想像できんという良識人にはこれを。
ムスカになること間違いなし
実際、トイレに行く時などには軽く尻なんて丸見えなのだが、腹が痛いとか転んだらあかんとか、そういうもっと重要な案件の前では、羞恥心なんていかにちっぽけなことかと気づく。
もちろん病院にいるのは病人か、看護師か医者、それに病人を心配する家族や友達なので、私のような婆さんの尻が見えた所で一向に気にしないであろう。
最後の方には隠すのも面倒臭くなって、俺のセルライトマシマシな尻を見ろ!的な気分でさえいた。
バルスーーー!!!!!世界が崩壊するわ
まあ、こんなにも長々と入院生活の文句ばかり言っているようだが、食事も栄養のバランスがよいものが3食ちゃんと出てくるし、看護師たちは優しく本当にありがたかった。
5日滞在したのだが、実際はもっと入院していたかった。
ネットによると同じ開腹手術で日本なら7ー14日の入院とあったし、何ならあと2日程長くいても私の方は全く問題なかったのだ。
しかし、手術後2日目ぐらいから、異なる看護師たちが次々と「退院する準備できてる?」とか「昨日退院じゃなかったっけ?」とか「あれ、まだいるの?」と手変え品変え、追い出したい感を前面に出して来た。
ベッド数が常に足りていない公立病院で、比較的軽傷の患者を早く出したいのは分かるが、私の家はアパートの3階で、エレベーターなし、手すりなし、ベッドも低く、寝たら最後自分で起き上がることもベッドから出ることも出来ない。
また尿道カテーテルに逆戻りだ。
そもそも術後3日間は平地を歩くのだって厳しかったのに、階段を3階まで登るのは不可能だった。
そんな私の事情はさておき、実際、手術したのがもし月曜日だったら、2日後の水曜日に追い出されていたと思う。
しかし私の場合、幸運なことに手術したのが木曜日であった。
退院前にはさすがにドクターの最終チェックがあるのだが、大抵のドクターが週末休むので、週末には退院することが少ないらしい。
週末は働かないという、オーストラリアの仕事は二の次ポリシーに助けられた。
入院期間が日本より短いとはいえ、オーストラリアの病院の患者の扱いが雑という訳でもなさそうだ。
JJさんや他の日本人たちによるとオーストラリア人は日本人より頑丈に出来ていて、回復が早いらしい。
例えば、私の相方を筆頭に、多くのオージーたちは浴びるように酒を飲む。
日本人なら一発で肝臓をイワせてしまう量を飲んで、次の日仕事に平気な顔で行ったりしている。
あるいは盲腸になったオージーの友人は、パナドールという、日本で言うバファリンを飲んでそのままにしたこともある。
←当然、最後には緊急入院となったが

所詮、脆弱な日本人とは身体も頭の作りも違うのだ。
そんな訳で、5日目に当たる月曜日の朝、ドクターのチェックがあって、その日の昼には病院を出された。
最後に担当してくれた看護師さんにお礼を言いに行ったら「あなたの世話が出来て良かったです」と、勿論全員に言っているとは思うが、そんなことを言われ、何だか切なくなってしまった。
ぶっちゃけ、もっとお世話されたかった。
手術、入院を初めて経験したが、そんなに悪くなかった。
もちろん痛いし、不便だし、やらないに越したことはないのだが、こんな目に遭うくらいなら、健康的な生活に変えよう!とモチベーションを上げるまでに全く至らない程度の苦痛である。
AJANTメンバーもダーウィンの友人たちも職場の人たちも、通常運転でも十分に役立たずなのに、手術で狸の置き物以下になった自分に優しく接してくれて、久しぶりに人間っていいな、オケラじゃなくて良かったなどと思う程であった。
ありがとう、みんな

最もここで言うより、本人たちに言った方が絶対いいと思う。
っていうか、そんな暇があったらAJANTの次のイベントのチラシでも配れって話だが。
これを読んで下さってる皆さんも、長いこと私の手術話ってかヨタ話にお付き合いいただきありがとうございました。
次回は知らなかったら命落としてた的な、もの凄いお得情報をお届け出来れば•••いいなと思ってます。
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