おはようございます。
恐ろしいことに手術編の第四弾です。
3回めはコチラ
先日、私が前回担当したブログで、今までだってちゃんと使えてなかった丁寧語、敬語、謙譲語がついに一切省略されているのに気がつきました。
多分これは寝たまま書いている弊害であろう。
「あるかもしれません」と書くより「あろう」と書いた方が短く、iPadあるいはスマホを片手で持ちながら駄文を書く時間が短縮できる。
iPadやスマホを重いと感じる程、自分の体は弱っているのだ(←ドヤ顔)。
しかし敬語、謙譲語こそ抜けているものの、これを読んでくださる皆様やAJANTをサポートして下さる皆様への尊敬と感謝の気持ちは溢れんばかり、自分をどん底まで落とし、矮小化することで皆様をどんどん上に持って行きたい謙譲の気持ちは抑えきれない程あるのだ。
ただ腕がiPadを支えられないだけで。
私がいくら乱暴な物言いをしようが、ここはひとつ頭の中で丁寧語、敬語、謙譲語に変換して頂くよう、皆様のご協力をお願いしたい。
さて、世界で一番役に立たない情報を提供するが、私はパンツを手術以降、つまり3週間程一切履いていない 。
別に叶恭子お姉様を気取って(←お姉様は基本全裸)いるわけではないが、パンツのゴムが傷口に当たって痛いのである。
昔誰かが言っていたが、人間はパンツをはいたサルらしい。
サル+パンツ=人間
とすると、私は今やパンツをはいていないサルであって、っていうかサルはそもそもパンツはいてないんで、(←マイケルジャクソンのチンパンジー、バブルス君を除く) そこから導かれる結論は、
人間ーパンツ=サル
無理やり数式にするまでもない。
私は単なるサルである。
正論しか言わないジブリも言っているではないか。
履かねぇ猿はただの猿だ。(紅の豚より)
※但し、人間−サル=パンツ にはならない。不思議なものである。
前置きはその辺にして、さて手術の直後の話である。
私が手術前に最後に時計を確認したのが午前9:30頃、目が覚めてベッドの前の時計を見たら午後2:00を回っていた。
手術が1時間としても、あとの3時間半程は口を開けて失神していたに違いない。
そして手術の感想だが、「別に•••」とエリカ様を1万倍ブサイクにした顔で言うしかない。
一切覚えていないのだ。
もし腹にテープが貼っておらず、両腕に何本か管が刺さってなければ、夢オチで済ませてしまうところである。
もちろん、麻酔が手術の途中で切れて、自分の腹から臓器を出しているところなど絶対見たくないし覚えていたくないので、これは得したと言えるだろう。
エリカ様ももしかしたら当時、全身麻酔をキメていたのかも知れない。
しかし麻酔から覚めたとて、すぐに反復横飛びが出来るほど回復した訳でもなく、下半身は全く動く様子もなくて、ベッドでぼんやりしていると、看護師さんがいつの間にか横に立っていた。
「意識が戻りましたか、じゃあこれを外しましょう」と腕の点滴を取ってくれた。
「水持って来ましょうか」と言うので「喉は渇きますが、トイレに行く自信がないです」と言ったところ、「トイレに行かなくても大丈夫ですよ」と私の横にぶら下がっている尿袋を指して微笑んだ。
カテーテル入っテル。
インテル入ってるより衝撃だ。
人生初のカテーテルが、知らん間に私の尿道に入っていた。
例えるなら、将棋を始めようと駒を並べた瞬間に、すでに王を取られていたことに気付く、という感覚に似ている。
「いつの間に?してやられたり!」と額をピシャリと叩くしかない。
素晴らしいことはこれが入ってる限り、トイレにも行かずに済むことだ。
日本で布団から出るのが心底辛かったあの冬の朝、これが入っていればと、どれだけ願ったことか。
(←いっそオムツを履いてしまえ)
今回の人生初入院で知ったのは、排泄と摂取の大切さである。
というのも、次々来るナースたち、ドクター、薬剤師、物理療法師が私のオナラ、ウンチ、オシッコ、食べたゴハン、飲んだオミズの量について興味シンシンなのだ。
(全てキタナイ単語をカタカナにしてマイルドにしたつもり)
こんなに私の排泄にスポットライトが当たったのは、私が新生児だった頃を除いて初めてのことである。
入院中に覚えた言葉として「bowel movement」と「passing gas」が挙げられる。
ちなみにお通じとオナラのことなので、これから外国で入院する諸君には覚えて頂きたい。
私がやらかしたように、いい大人(中年後期)が幼児語で「pee(オシッコ)」や「poop(ウンチ)」や「fart(オナラ)」や「ナンバーツー(ウンチ)」などと連呼していると大抵バカだと思われるので注意しよう。
ナースたちがここまで私の排泄に興味があるのは、何も特殊な性癖があるからではない。
排泄は本当に重要なのだ。
実際、私の隣のベッドにいた婦人はカテーテルを外し初めてトイレに行った時、あまりの痛さでトイレで失神した。
排泄も命がけである。
カテーテルが入っていた間は、袋のおかげで自分がどれだけ水を排出したかが一目瞭然であったが、抜いてからは一回一回のトイレが重要なイベントとなった。
こちとら24時間ベッドの上だ。
しかし痛み止めの作用で、地球の温暖化やアパートのゴミ問題などの複雑な物事について考える余裕は一切なくなる。
そこで出来ることは寝ることと、戦略的なトイレプランである。
私が入院中最も恐れていたのが便秘になることであった。
腹を切った人なら分かると思うが、腹に力が入らないし、便秘によってガスが溜まると切った部分(内側と外側ともに)に圧力がかかり、非常に痛いのだ。
この腹で、万が一ヤツを溜めてしまった場合、腹に溜まった巨人を自力でひり出すことなどほぼ不可能である。
便秘にならないために、出された食事を懸命に取り、傷が痛んでも座る、歩くなど心掛け、水を定期的に飲み、食物繊維が豊富だと言われるプルーンを常食した。
摂取するから排泄するのではない。
出すために摂取する。
矛盾するがそういうことだ。
水を飲む量、プルーンを食べる時間、トイレのタイミングを一日中考えていたりした。
気分はすっかり給水タイミングを練るツール・ド・フランスの選手だ。
(←違うやろ)
摂取の話で言うと、食事の話も避けられない。
不味いの代名詞で使われる病院食であるが、初めて食べた病院食は思いのほかウマい、であった。
しかも病院によって異なるかもしれないが、次の日のメニューが朝昼晩、細かいオプションがあり、自分だけのオートクチュール飯にすることが可能なのだ。
ところで、私はジェットスターばかり乗っているので、
- 飯が出なくて当たり前。
- 飯を頼んでも選べないのが当たり前。
- 選べると言いつつ私の前の席で品切れになるのが当たり前。
- 飯が不味くて当たり前。
- 無料の水を頼むと唾を吐かれて当たり前。
(・・・は、言い過ぎだが、ゴミを見るような目で見られて当たり前)
という塩対応に慣れ過ぎていたため、このようにメインと炭水化物、フルーツ、そして食後のアイスまで出されると「実は私は不治の病で最後の晩餐なのでは?」と半ば疑心暗鬼になってしまった。
(病院と飛行機は違うやろ)
あと腹が再び開くのが怖くて、さすがに満腹になるまで、心ゆくまで食べるわけにはいかなった。
遺憾である。
食事の質は何の文句もないのだが、しかし配膳の仕方には不満があった。
手術の後、2日程は傷も痛く、起き上がることも大変であった。
なので、私の枕元にあるテーブルにはiPad、水用のコップ、携帯電話などが置かれ、体を動かさずとも取れるような仕様にしていた。
しかし、食事を置くスペースは十分あったはずである。
なのに、配膳のスタッフがなぜか決まって手元のテーブルの、いちばーん端に食事を置いていくのだった。
(最初の2日は寝ていた時や意識がぼんやりしている時に配膳されたので、何も言えなかったのである)
届かねえ!届かねえよおお!!
ここはヨーダばりの顔で念じてみたのだが、突然フォースが覚醒するはずもなく、当然食事トレイは0.1ミリも動かない。
さてどうしたものか。
左手がしびれてきて、携帯が燃えるかって程、発熱し出したので、続きはまた次回。
次回こそ、この手術に関するブログを終わらせ、ダーウィン情報ブログに戻る予定。
もう少しお付き合い頂ければ幸いです。
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