おはようございます
先日ブログでもお知らせしました、ダーウィン市内のカジュアリーナクリフに設置された伊124号潜水艦 銘板のアップデートをお知らせします。
ブログでもお伝えしましたが、
銘板のサイズが大きくなってしまった為、支える岩が当初のデザインと変わり、このような存在感のある巨大岩になりました。
実はブログ読者の方々は気づいていたかもしれませんが、AJANTメンバー色々熱いヤツらでしててへぺろ
「むむむ!なんとか納得するまで見届けたい!」と交渉を重ね、今回銘板の角度を変更することによりより、銘板が美しくダーウィンの綺麗な夕日に照らされるように改善されました
左は以前の設置角度、右が改善後
2017年2月17日にダーウィン議事堂で行われた伊124号潜水艦 銘板除幕式には日本からご遺族の方を始め、駐オーストラリア特命全権大使、潜水艦隊海将補、NT政府関係者など多くの方にご出席頂きました。
亡くなられた80名分の折り鶴作成と名前の記入を、日本からいらっしゃったご遺族の方にお手伝い頂きました。
除幕式当日に北部準州豪日協会(AJANT)からは、会長キャサリーンさんがスピーチ、副会長の麻子さんがその和訳スピーチをしました。
メンバーの私が言うのもなんですが、会長と副会長のお二人は数年前から軍事史家トムルイス博士と一緒に各方面への手配など、この日に向けて全力で動いてくれていたのです
スピーチを読み上げる二人
左:AJANT会長キャサリーンさん 右:副会長:麻子さん
会長キャサリーンさんが読み上げた文章
和訳:
昔から歴史の中で、戦争はとても悲惨だったと何度も何度も言われてきました。
戦争の結末、それはいつも両国に多大なる損失を生み出しました:命が失われ、土地や家が失われ、そして国境が失われ、アイデンティティが失われ。。
戦争で亡くなられた方々は、いつも国に仕え、己の任務を果たそうとしてきました。もうずっと何世紀もの間、数えきれないほどいくつもの戦争が、絶えず行われてきました。
しかし、戦闘で亡くなった軍人も、民間人も同じ、個々の一人一人は、唯一無二の存在に変わりなく、私達はみんな絆で結ばれている人間同士です。
弱み強み、欠点、才能、思いやり、悲しみ、ユーモアなどそれらはすべての人間に共通するものです。
1942年日本はオーストラリアに向けて前進してきました、その場所がまさにここの地ダーウィンです。
潜水艦伊124号は、オーストラリアの艦隊HMASデオレインによる魚雷を受け沈没しました。
80名の隊員は水中爆雷によるか、もしくは水中で溺れ、即死されました。
もしかしたら、土壇場でもこれに耐え奇跡的に生き残った方もいたかもしれません、そんな方は、もがきながら最後まで必死に生きようとしたと思います、本当にとても悲惨です。
その場所は今私達がいるこの場所からそんなに離れていないところにあります。75年もの間、魂はずっとそこで眠っています。
私達豪日協会はトムルイス博士のこの、今この時宜にかなった企画、まさにこの適切なタイミングで、潜水艦隊員達のことを皆様に知って頂き、追悼するにふさわしい方法に、賛同いたしました。
トム氏には、紆余曲折がありながら、計画を進める中ずっと、サポート、励ましやご助力をうけ、お陰でここまでくることができたことを感謝します。
名盤設置にあたっては、礎石(そせき)の設置、それからレセプションの補助金申請を承認してくださった、ノーザンテリトリー準州政府のテリトリーリメンバーズプロジェクト、それからDepartment of Parks and Wildlife そしてオーストラリア政府防衛省からの名盤の資金援助に感謝いたします。
この銘板がご遺族の方々にとって、いくらかの慰めになれればと思います。そして、この銘板設置により、旧日本軍によるダーウィン空爆によって受けた苦しみ、未だに苦い辛い思いでとなって今でも記憶に残っている被害者、にとっての和解の証になることを祈っています。
私達豪日協会は、両国オーストラリアと日本にとって、平和、和解、友情関係がずっと続いていくことを心から願っています。
この二日後には、ダーウィン空爆で亡くなった方の慰霊が行われます。今夜ここでは、1942年1月20日に伊124号潜水艦で亡くなった80名の方をじっくりと、時間をかけて謹んでしのびます。
生きて、愛して、笑って、泣いて、夢に希望を抱いた男達。
国に仕え勤めを果たし、亡くなった男達。
皆さん、どうぞやすらかにお眠りください。
北部準州豪日協会会長 キャサリーン・ブレズナン
もしもダーウィンに来ることがあれば、
そしてカジュアリーナクリフに来たら、
是非慰霊碑を訪れて下さい。
その慰霊碑は、国のために戦った英霊の眠る海、そしてその先にある彼らの祖国を静かに見つめています。
JJ
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