side; 間宮 学


女なんて、本当に必要なモノの中に含まれない。


「へっくしゅん!」


「どうしてちゃんと上着きたりマフラーしたりしないの。」

「うるさいな。」

「遅くなるならメールして。ここでどれだけ待ったと思うのよ。」

「これでも急いできたんだ。」

「約束は13時だったはずだけど。」

「あ、そうか。君誕生日。」

表情が、ぱっと明るくなる。

「許す。遅れてきたこと。」

にっこりと、まるで毒っけのない笑顔。

俺は、許しなんて求めてないけど。

「今日一日一緒にいてくれる約束。」

「だめ。俺仕事。」

「約束は?」

「あのね、俺、働いてるの。」

「じゃあどうして約束なんか。」

そんなに悲しがってもだめだよ。

俺が一番苦手なタイプ。


「学。」

「それで呼ぶな。」

「なんで。」

「嫌いなんだよ。」


自分の名前も、

自分の名前を呼ぶ女も。


「私が嫌い?」

「嫌いだね。」

目をそらす。

泣くかもしれない。


「きみさ、」

「私は好き。」

勘弁してよ。

泣かれたって困る。


「きみさ、もてるでしょう。俺じゃなくてもいいよね。」

求められても困る。


言ってよ、期待どおり、型どおりのせりふ。

  

 ばか、ひどい、しんじらんない、


「きみかわいいんだし、男になんか困らないでしょう。俺はやめといたほうがいいよ。」

怒ってる。

目に涙ためて、こらえてる。

だけど、何も変わらない。

「学・・・」

「やめろ。」

ほろほろと、涙がこぼれる。


ああ、かわいそうなことしたかな。


誕生日。


「泣くなよ。」

周りの視線がいたい。

女を泣かす男はなんでこうも悪者になるのか。

「ごめん、泣くなよ。」

女の顔に手を伸ばすと思いっきりすねを蹴られた。

「泣いてない!」


ないてんじゃん。

てゆうか、いってえな。


「きみね、」

「じゃあ来ないでよ!約束なんかすっぽかしてよ!私の誕生日なんか、忘れ去ってよ!切り捨ててよ、悪魔!」


女は何で、誕生日にこだわるんだろう。

誕生日の思い出なんて、ろくなものがない。


「わかったよ。悪魔は退散する。」

きみはね、愛されて育ったひとだ。

気づいてないかもしれないけど、大切に愛を注がれて、生きてきた。


俺とは少し、ちがう。


俺はそんなふうに”愛して”と叫べない。


すすり泣く彼女を見てそんなことを考えていたら、救いのベルが。


「もしもし店長、何処の本屋まで行ってんすか。パウンド、乾燥しますよ。」

「おう、わかった。」

「はるちゃん、来てますよ。」

「はるちゃん来てるのか。」

「はい。なんかつくってって。」

「そうか、すぐ戻る。」

電話を切ると、怒っていた。


「だれ?はるちゃん。」

「関係ないでしょう。」

「関係あるの。私には、関係あるの。」

「悪魔にもね、天使がいるんだよ。」

「なに、それ。」

俺は、悪魔なんだろう?

「彼女出来たって、いってなかった?」

「言ってないよ」

震える声がリアル。

「学。」

「だから、それで呼ぶな。」

「どうして。私は、呼んで欲しいのに。」

君は分かってない。

「自分の名前、好きな男に呼んで欲しいって思うくらいいいでしょ・・・それくらい、望んだって。」


だから、

だから、君は何も、なにも分かってないんだ。


名前に宿る魔法を。

声に出して名前をよぶと、距離が縮まる。


名前を付けると、生まれるモノもある。


名前が持つ魔力を、痛いくらいたくさん知ってる。



・・・・・・・・・・・・・学、




19:00


「お先に失礼しますね。店長、ちゃんと鍵締めといてくださいよー。」

「おう、おつかれー。」

閉店後、ハンナがもっとも静かな時間だ。

カーテンが引かれ、ライトはほとんど消され、音楽は止まり、まるでハンナが一日の疲れを休めるようだ。


「なーんか、チーズ残ってたかな。」

厨房の冷蔵庫を開ける。

解禁になったボージョレが数本、ナッツやドライフルーツとともに無造作に転がっている。

ハンナと、俺と、たまにこうして疲れを共に癒すのだ。


ふと、昼間の涙を思い出す。

「はっ」

笑っちゃうね。

しっかりしろよ、俺。

あれくらいで動揺するな。

磨かれたステンレスの冷蔵庫扉に自分の顔が写る。


・・・・・・・・・・・学、私の大事な子・・・


母はいつも、俺を見ていた。

あの顔がいまでも鮮明に目に焼き付いている。

お父さんにそっくり、と目を細める母は、俺を見ていたのか、その先の男を見ていたのか。


ワイングラスを空にして、眼鏡を外し、机に突っ伏して両手で自分の肩を抱く。

学、と呼ぶ声は今でも頭の中に巣くっている。

俺の名を呼ぶ女はいつも、俺を残していく。

惨めな人生だ。


「勘弁してよ、、アンナ。」













side;宮森 香


「こんにちわ、香さん。」

「えりちゃん、こんにちわ。久しぶりね。」

「はるちゃん風邪引いたって聞きましたけど、大丈夫なんですか?」

「ありがと。もう大丈夫。今日から学校も行ったしね。」

「よかった! 智も心配してたから。」

「あ、広瀬君ね、今休憩なのよ。ちょっと待ってて、呼んでくるから。」

「いいんです。」


にこりと笑うと、一見冷たい印象を与える彼女とは別人のような華やかな笑顔を見せる。


「何か、食べない?できたてだよ。」

「じゃあ、クラブハウスをもらおうかな。」


「あれ、エリコ。来てたの?」

「智。  営業で外出てたから、帰りとこ。ちょっと寄り道。」

「コーヒー、淹れるからまってて。」


すこし、彼女が悲しそうな顔をした気がした。


気がした、だけかもしれない。


次の瞬間には、彼女は彼の手元に見とれていたから。


広瀬君の、一切の無駄な動きはそぎ落とされた手の動きに見とれるのは、彼女だけではない。

一杯分の豆が挽かれたとおもったら、もうすでにスチームされたミルクがエスプレッソに模様を描く。

瞬く間に彼女のお気に入りのソイラテが完成する。

蓋を閉める瞬間、ちらりと見える模様は、彼女だけのまあるいハート模様。

素早く、彼女にも見せずに蓋をするのはもったいない。


「ありがと。」


彼女が出て行ったあと、いつも不思議に感じていたことを尋ねてみる。


「どうして、蓋しちゃうのに描くの?」


「あいつ、熱いのダメなんで、テイクアウトでも蓋取っちゃうんです。だから、想像する。あいつが蓋を取るのは200メートル先歩きながらか、交差点の信号待ちか、戻ったオフィスなのか、わからないけど、」


そこで、彼はふっと、微笑んだ。


「あいつ、顔に似合わずハート好きなんです。だから、それを見て少しでもげんきになってくれたらモウケモン。」


想像してしまう。


すぐ先の交差点。


信号待ちの彼女。


カバンを肩にかけ直して、そっと、蓋をはずす姿を。



side;広瀬 智之



14:00


有線を変える。

あわただしいランチをこなして、今は少し落ち着いた店内。

スタッフ用に3人分の豆を挽く。

「香さん。置いておきます。」

「ありがとう。店長の分、私持って行こうか?」

「助かります。」

少し背の高い折りたたみ式の簡易イスに腰かけて、ゆっくりと息をすいこむ。

立ち上る湯気と共に、落ち着く香りが漂う。


何気なくガラス越しに厨房を眺めると、店長が湯煎にかけられたチョコレートを愛おしそうに、かき混ぜている。

湯煎鍋の隣に置かれた俺の淹れたコーヒーは眼中にないみたいだ。


かわいそうに、なんて思いながらもやっぱり、笑ってしまう。

普段の姿とかけはなれた、愛にあふれた姿だ。


これもまた、日常。


ふと、エリコのことを思い出した。


何を隠してるんだか。


わかりやすい態度に、わざとなのか?と疑いたくなる。


「すみません。レギュラーで。」

「かしこまりました。いつものサイズでよろしいでしょうか。」

「ええ。」

久々の来店。

何の仕事をしているひとなのか、というより、社会人なのか学生なのかも分からないが、彼もまた、

ハンナの一員なのだ。むしろ、ハンナはたくさんの彼のような存在で、僕たちスタッフではないのかもしれない。


「広瀬さん、まだクラブハウス残ってます?」

「のこりひとつです。お持ちしましょうか?」

「あ、どうも。」

不健康そうな顔色。

いつも違うところに必ず存在するネグセ。

今日も4時間コースかな。

「お待たせ致しました。ごゆっくり。」

俺の中の愛称はホームズ。

いつも、昼過ぎにふらりと今にも倒れそうな姿でやってくる。

かとおもえば、机いっぱいに広げた外国語で埋め尽くされた分厚い本を嬉しそうに

キラキラした目で追っている。

そしていつもたいがい4時間ほど、此処にいるのだ。


いつか彼がカプチーノを注文してくれたらシャーロックホームズが愛用したパイプを描くのに。


そんな事が、僕の小さな楽しみだったりするのだ。




「広瀬。パウンドさめたら教えて。ちょっと本屋行ってくるから。」

「了解です。」

もう寒くなってきているのに、薄手の白いシャツと細身のパンツに、素足。

なのに良い値段しそうな革靴。

寒そうにポケットに片手をつっこんで自転車に乗る。


アンナさんが店長のそばからいなくなって、もう2年。

間宮 学 という男は、未だに彼女を思い愛していて、それは薄れていくどころか、

時がかさむだけ、同じように愛の形は洗練されて、衰えることなく彼の中に存在し、蓄積し、形を作り始める。


彼のアンナさんを思う気持ちのせいで、彼の色気は徐々に増し、艶をまとい、憂いを含み、野性的な魅力を放つ。


そして、この東京の、無機質なモノであふれる場所ではかなり、目を引く。



side;広瀬 智之 


AM 9:00


少しずつ、お客さんの波が引いていく。

「おはよう。」

「おはようございます。」

「広瀬、今日何?」

「クッキーと、、、ショコラのパウンド、出してもらえれば。」


店長兼パティシエの間宮学が出勤。


そこらの芸能人よりもずっと目を引く外見。

だけど本人はそんな自分の顔がまるでコンプレックスのように、癖のある黒髪と細い縁の眼鏡で隠してしまう。


本人は気づかない。


隠すから余計に引き立ってしまうことを。


「なんで。一昨日パウンド出しただろ。」

「何言ってんですか。一昨日はオレンジでしたよ。」

「あ?そうか・・? だー、くそ・・・・ 飲み過ぎたー。」



そんな彼を横目に、朝のラッシュの片づけをしながら、僕は僕の仕事に。


「広瀬君、おはよー。」

「おはようございます。はるちゃん、もういいんですか?」

「もう大丈夫。ごめんね、迷惑掛けちゃって。

「はるちゃんのためなら仕方ない。」

「娘も広瀬君のこと大好きよ。」

「じゃあ、両思い。」

「ふふ。休憩行ってね。お休み頂いてたお詫びに、娘と豚汁作ったの。食べてー。」

「まじっすか。やったー!遠慮なく頂きます!」

彼女はアルバイトの宮森香さん。

娘のはるちゃんの風邪が治って今日復帰。

彼女が出勤すると交代して、早めの昼休憩。


休憩室で何気なくテレビを付け、天気予報をみる。


それもまた、日常。


寒い季節がやってくるのだ。




side;宮森 香


間に合った。


そっと胸をなで下ろす。


「いらっしゃいませ。」

娘のはるを小学校に送り出し、昨夜も帰らなかった夫のことを考えてると、気づいたときにはいつもの電車の時刻は過ぎていた。

「両思いか、、、」

「は?」

「あ、いえ、ご注文はおきまりですか?」

「ねえここ、紅茶ないの?」

「ロイヤルミルクティーでしたらございますよ。」

「じゃあそれでいいよ。灰皿、もらえる?」

「申し訳ございません。当店禁煙とさせて頂いております。」

そういったとたん、舌打ちされた。


今日はダメかもしれない。


がんばれ私。


何回つぶやいたかしれない。


もうそんな言葉じゃだめだ。

考えが止まらなくなる。


どうして?


どうしてよ・・


「香さん。豚汁うまかったー。ありがとうございます。」

「あ、店長。あんなものでごめんね?」

「二日酔いに効いた。いーね、はるちゃん。いいママだ。」

「そんな。あれくらいでいいママだなんて。」

「そうかな。味覚って育てるもんでしょ?ちがった?うちはさ、めしまずくって。おかん、ぜんぜんダメで。」

「店長のお菓子、絶品なのに。」

「あれかな、反面教師。」

「なにそれ。よく言う。それ、手伝おうか?」

すべるようなゆるい独特な話口調とは対照的な手早さで、テイクアウト用のサンドイッチが次々と生み出される。

「さんきゅー。」


ふわりと、お酒のにおい。


この人、大丈夫かな、と思う。

私に言われたくないだろうけど。