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劇場の様子

 

初日、確認した限りだと、TOHOシネマズ日本橋、新宿、錦糸町はすべての回で満席。エンドゲーム、予想以上の盛り上がりでした。この感じはインフィニティウォーのとき以上のような気がしますね。これほど混み合っていて、そしてどこかピリピリした雰囲気すら感じるのは、スターウォーズフォースの覚醒のとき以来のような。

 

 今回はMCU最長の上映時間ということで、覚悟して直前に飲み物もなるべく飲まず、当然ジュースなども買わずに劇場へ向かいました。近くに座った人でもポップコーンを買っていてもドリンクを持っていない人が多かったような?これ、意外に劇場的にはちょっと痛いのではないかと、勝手な心配などもしてしまいました。劇場の回転率がかなり悪い上に、収益を上げるうえで大事な飲食をあまり買ってくれないんですからね。

 

まぁ、それでも上映中にトイレに行く人はけっこう多かったですね。みんな頻尿なんだなあ。あとスマホをいじる人が斜め前に一人いたのには腹が立った。座席を蹴ろうかとしばらく考えてしまいました(未遂)。

 

 入場特典はアベンジャーズメンバーの起き上がりこぶし(シビルウォーのときの野球漫画との謎のコラボとは大違い)。僕はキャップが当たりました。やったね。American buttが素敵。

 
 

 

 

ここからネタバレ

 
 

 

 

ざっくりあらすじ

 

前作『インフィニティウォー』にてサノスはインフィニティストーンを六つ集め、全宇宙の生命を半分にした。地球から帰還できなくなっていたトニー・スタークをニック・フューリーの要請によってかけつけたキャプテン・マーベルが救い、キャップらと合流した。サノスの位置を特定したアベンジャーズの生き残りの面々はサノスのもとへと向かうも、サノスはすでにインフィニティストーンすべてを破壊しており、またソーがサノスを殺害したことにより、世界を戻す手掛かりはなくなってしまう。

五年後、量子空間からスコット・ラングが帰還する。スコットは五年の月日を量子空間にて過ごしたが、彼の体感がたった数日であったということを合流したキャップらに話す。そこにタイムトラベルの可能性を見出した彼らは、かつての仲間を再集結させるために各地を回る。

仲間を再集結しタイムマシンを作り上げたアベンジャーズはインフィニティストーンを六つ集めるために、過去へと向かう。

無事すべてのストーンを回収するも、過去と現在のネビュラの意識混濁により過去のサノスに現在のアベンジャーズの企みが漏れてしまう。ストーンを回収したアベンジャーズは六つのストーンの力によって失われた生命を回復させるが、その直後、過去のサノスが現在に侵攻し、アベンジャーズとサノス軍との全面対決が始まる。復活したアベンジャーズのメンバーやキャプテン・マーベルも戦力として加わり、最終的にトニーがインフィニティストーンの力によってサノス軍をすべて消滅させた。世界は救われるも、トニーはそれがもとになって死去。

その後、アベンジャーズはそれぞれの道に進んでいく。キャップはストーンをそれぞれの時代に返しにいくために過去に戻るが、そのまま帰らずひとりの人間としての生を全うし、二代目キャプテンアメリカをファルコンに託す。

エンドクレジット後、アイアンマンを連想させる金属音がしてエンド。

 

 

 

 

前作『インフィニティウォー』は意外なほど、サノスという狂人の内面に迫る作品でした。「そうだ!全宇宙の生命を半分にすればええんや!」という謎の発想で、使命感に追われる男を意外にも丹念に描き、モーションピクチャーのお顔で「人間」らしい苦悩さえも描いていました。映画のラスト、一仕事終えたサノスの満足気な笑みがキモくて良かったですよね。いっぽうアベンジャーズの面々はシビルウォーからの仲違いを引きずったまま、サノスの力の前に圧倒されるばかり。メンバーは全員揃わないまま、指パッチンをされてしまうのでした

 

 

今作はインフィニティウォーからの続編という位置づけと、MCUのこの十年の総決算という位置づけ、両方の面を持っていますが、見て思ったのは相当総決算としての色が強いな、ということでした。むしろ続編という感じがあまりしない。確かに話は前作からの直後ではあるのだけど、トーンがかなり違うし、テーマ的な統一感が意外とないなあと思ったのです。

 

前作ではヒーローたちが世界を救う目的のために犠牲を払うというショッキングなシーンがありました。ピーター・クイルはガモーラに手をかけ(サノスのリアリティストーンの力によって未遂に終わるけど)、ワンダは自らの力でヴィジョンの石を取り出します。一方でサノスも同じく、目的遂行のために娘のガモーラを殺すことになります。

 

目的のための犠牲というのがモチーフとして繰り返されているのです。ヒーローたちが選んだ行動とサノスの選んだ行動は目的は違えど同じであり、それゆえに彼らは敗北してしまいます。当然、今作では彼らがサノスとは違うということを示し、その差別化によって勝利する必要があるはずでした。ところが「犠牲」というテーマは今作はどこかに追いやられてしまって、前作との繋がりを感じられにくいものになってしまっています。サノスを倒すことができたのが、二作通した物語としては納得がいく形にはなっていないのではと思うんですよね……

 

その意味で個人的にかなり違和感があったのは、惑星ヴォーミアでソウルストーンを手に入れるくだり。サノスが犠牲を強いることで手に入れたものを同じ方法で手に入れるのはどうなんだろう。ホークアイとナターシャが我先にと身を投げようとするシーンはやっぱり首を捻らざるを得ない感じでした。他者の犠牲を強いるのではなく、自己犠牲だから違うという理屈かもしれませんが、自己犠牲という選択もあまり良いものとは思えないし(関係ないけどなんでレッドスカルってあそこにいるの?コミックス読めばわかる?)。

 

 

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前面に出たのはMCU作品の総決算としての面でした。アベンジャーズはこれまでのMCU作品の世界を文字通りタイムトラベルしていくのです。そこで彼らはストーンを回収するとともに、過去の自分やトラウマと向き合うことにもなります。個人的にはこのセルフオマージュ的なタイムトラベルシーンがいちばんびっくりしたところだったかな……。

 

おそらく製作者側もここを最も大事な肝として考えたところでしょう。やっぱりマーベル印のアメコミ映画はどんなに暗い場面でも明るいギャグがあることですし、ここぞとばかりぶちこまれた過去作を絡めたギャグがとにかく冴えていました。

 

これまでMCUを追ってきた人だからこそわかるご褒美のようなシーンの数々。複数の映画の世界を横断し繋がっていく快感はこれまでの映画史に存在しないもので、大ヒットを続けてきたマーベルだからこそ可能だったものです。もちろんめちゃくちゃ笑える一方で、味わったことのない感動がありました。とにかく想像ができないくらい巨大なものに、自分も観客として一体となって関わってきたのだなあという感慨……。これはきっとアイアンマンから映画館で見た人、あるいはマーベルをコミックスから楽しんできた人となると、その旅路の感慨たるや更に大きいのでしょう。

 

 

 

ただ、僕もものすごく感動した手前あれこれは言いたくないし、文句を付けたくないのですが、タイムトラベルというギミックを入れたことでいろんなことが納得しにくくなっているという部分はかなりあると思うんですよね。僕はタイムトラベルがある映画では基本的に思考停止してその映画ごとのルールに盲従ことにしているんですが、さすがに今回は「それって要するになんでもできるってことじゃね?」と思っちゃいました。

 

いちおうピム博士の発明品の制限があるものの、その制限も過去に戻って盗むことで解決してしまうし。タイムトラベルとワープ装置が同じになっているのもオーケーならそれぞれの状況下でもっとマシな取り返し方があるようにも思えるし。

過去映画のセルフオマージュを入れ込むためにこうした変なご都合な設定になってしまうと思うのですが、それだったらそうせざるを得ないあといくつか設定を加えてくれればいいのになあと思ったりしました。

 

 

 

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この映画で最も盛り上がるサノスとの全面対決は素晴らしかった。生き返った仲間たちが加わり勢ぞろいしたシーンの途方もなさ!とにかく数がすさまじいし、しかもそのすべてにそれぞれの歴史が含まれていてくらくらします。

 

さきに僕はサノスに勝つ理屈について前作からの繋がりで考えると納得できる理由がないというふうに言いましたが、少なくともMCUシリーズを通して考えれば自明だと思います。なぜアベンジャーズが勝つかといったら、アベンジャーズのそれぞれにキャラクターが観客と共有する歴史を持っているから!ファンとともに歩んできた歴史のすべてがあのアッセンブルに詰まっているからです。それだけでサノスに勝つ理由は十二分に説明されていると思うんです。

 

 

 

 

ルッソ兄弟の演出は今作でもよかったと思います。僕のマーベルの個人的なベストは『シビルウォー』なのですが、そのときにもキレキレだったアクションの面白さは今回も健在。すごく観やすくてストレスがないんですよね。

 

 

ただ『シビルウォー』のときに相当気を遣ってやっていたキャラクターごとの活躍をそれぞれ平等に魅せていく手腕は後退した印象です。さすが全キャラクターとなると、いくらなんでも無理だったみたいで、退場することになるトニー・スタークとスティーブ・ロジャースに焦点をしぼっていました。

 

それはこれだけ膨れ上がったキャラクターの数では仕方がないことでしょうけど、やっぱりナターシャの扱いはそれでいいのか!とか、ソーはあのままでなんか煮え切らないなあとか、キャプテン・マーベルはキャラというよりほぼ兵器扱いだな!とか、まあ考えればいくらでも出てくる。でもまあ、ユニバースの集大成をつくりあげる前例のない仕事においては、これが最善だったのかなあと思います。

 

 

 

個々のキャラクターについては、この後の展開で更に深められていくのかもしれません。大きな喪失と傷を受けたワンダやソーはいったいどういうふうに恢復していくんでしょうか……?今作ではほったらかしにされた感の強いので、これからどうなるやら(ソーに関しては『インフィニティウォー』の時点で「?」だった。国の負の面を知り、ハンマーなしの父の似姿で戦うことで成長したのに、またそれらを取り戻す意味がわからなかった。)。

 

あとバナーはハルクとなんとなく折り合いがついたようですけど、本当にあんな感じでいいのか。笑

 

 

 

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意外と苦言というか文句が多めですけど、MCUの到達点としての『エンドゲーム』は本当にすごい映画だと思っています。アメコミのイズムをぶち込んだ異常さのため相当畸形的になっているとは思うのですが、とんでもない達成であることは誰にも否定できないでしょうね。

 

誰も想像すらできなかった超ヤバいビジョンを達成してしまったのだと思うんです。そこに、僕はまったく大したことのないにわかですけど、ひとりのファンとして関われてよかった。たぶんこれからも何度も見返して、そしてあれこれ言うことになるんでしょう。そしてホークアイのローニンスタイルはどうなんだとか、ロキは結局どっかで生き返るんじゃねえかとか(ディズニーデラックスとかでね)、ぶーぶー言いつつ、マーベルの今後の展開を楽しみに生きようと思います。