29・11・4
こんな独り言みたいな文章は本当に独り言のような気持ちで、ただ出来るだけ本心を字にしてみたいな、という思いで書いていたが、近頃、いくらかでもあれを読んでくれている方がいて、時にお会いする予期しない人からあれはよかったですね、というような批評を記載してくれることがある。
となると、あまりいい加減なことは書けない、といささか心を引きしめなければならいなと思うようになった。
私は、毎日七紙の新聞をとっている。読みたいが、昔からギリギリまで寝ているくせがついているので、みだしのいくらかは見ても、あとは、丸めてそのまゝ迎えの車に乗り、事務所で読むつもりが、大てい来客とのおしゃべりでダメになって、家に持って帰って読む仕様となることが多い。
新聞は各紙論調も違うし、時に事実関係の記事も違う。それでいいと各紙それぞれ多少ずつの特色がある。書きたいけれど、これだけは遠慮させて貰うが、新聞の名を見ないでも、これは何紙か、まあ大体あたるようだから、それぞれいくらか特色があるのだろう。
言えることは、先ずどこを見るかであるが、私は死亡欄をまず見る。当然載っていていいと思う人が新聞によっては落ちていて、二、三日してから申しわけないように載せてくるものもある。
ただ、悲しいことは、亡くなる知人が少なくなったことであるが、それは私よりも若い人で亡くなる人が多くなって来たせいもある。
この間思い出して高校のクラスメイトに電話をした。三十人いた組友が残っているのは二人となって仕舞って、去年お前と二人になったから近く二人でクラス会をやって解散ということにしよう、と言い合ってそのまゝになっていたのを思い出したからであるが、その友人ももう電話もムリだとのご夫人の言葉であった。
あゝ、やになるから。独りで飲むか、と思っても、こちらも医者に控えるように言はれている。
菊一輪 酒三合 ごろ寝かな、とは去年の俳句であるが、その酒もダメになったのである。
この頃はれいれいしい葬式よりも、一月以上経っての偲ぶ会が多くなった。これで昔の友人に何人か会える楽しみもでてきた。しかし、
そういう友人の数も少なくなってきた。悲しいことであるが、これが人生と言うものか、とも思う。