田中さんが国連総会かGセブン(?)かで演説することになったことがあった。日本語でしゃべって、通訳と言うのが相場だ、と皆思っていたが、田中さんは何を思ったか、英語でやると言う。
サア、大へんだ。まず原稿を英語に直して、それをマル覚えをしよう、というのである。
師匠は、英語が日本語よりうまい、という柏木財務官であった。
英語で吹きこんだテープを毎日聞いて、それを丸覚えする努力が始まった。省内の関係者はハラハラしながら興味を持っていた。
いよいよ、その時が到来した。アメリカからは村上為替局長の電話が入った。彼は例の調子で、半ひゃかし、半ば喜び声で、「パサブル」でしたよ、という。大臣はわれわれのキャップである。アアよかった、と皆喜んでいた。
これには、その次がある。評番がよかったのに気を良くした田中さんは、晩さん会にあと、俺の演説はよかったらしく、とにかく、議長のジャパンという言語が三回も聞こえたよ、という。御機嫌であった。
何分かかったかしらないが、とにかく演説を丸おぼえで覚えてしゃべるのは、田中さんといえども大変だったに違いない。
今でも村上局長のうれしそうな「パサブル」でした、よというアメリカからの電話の声は、忘れられずに耳に残っている。「パサブル」いい言葉である。