27.7.20
国立競技場の建設をめぐるゴタゴタは毎日マスコミを賑わしていたから、今更、私がここでものを言うこともない気もするが、一言言っておきたい気がする。
昭和三十四年に、昭和三十九年東京でオリンピック開催と決まった時には、関係者ばかりではなく、本当に全国民が喜び、その準備にとりかかったものである。競技施設だけでなく、交通機関、道路などのあらゆる施設について検討が加えられたと思う。
当時、私は、大蔵省主計局にいて文教担当の主計官をしていた。オリンピックの準備の責任官庁は文部省であったから、その予算を与っている私は、もちろん大へん忙しかった。
オリンピック開催に必要な施設、現有施設の調査、不足乃至改良しなければならない施設、直接競技の開催に必要な施設の他、当然オリンピック村(宿泊施設)の整備、世界中から、しかも短期間に押しよせてくる人々の宿泊施設など、大袈裟に言えば国を挙げての準備であった。
今回、東京に決まった時から、そう言った面で手抜きがあったとは思えないが、何となく、全貌を把み難く、も少し、というよりもっともっと、国民全般にわかり難く説明する努力が行われたのか、よくわからない。
予算が、当初の予定よりもとんでもなく増えてしまったことが問題なのか。財源の問題にしても、何故東京都が五〇〇億も出さなければならないのか。
第一、あの設計はどういう経緯で決定したのか。森さんは初めから、あの形は気に入らなかった、とまで新聞にしゃべっている。そこまで言われると、ものの言いようもないのかもしれない。
こうなれば、御破算を願って、も一度全体計画を数字(経費)を入れて弾き直して、しっかりした最終計画を確定するしかないのではないか。
責任論はこの際一切棚上げして、出なおすより他国民を納得させる方法はないのではないか。
国立競技場の建設をめぐるゴタゴタは毎日マスコミを賑わしていたから、今更、私がここでものを言うこともない気もするが、一言言っておきたい気がする。
昭和三十四年に、昭和三十九年東京でオリンピック開催と決まった時には、関係者ばかりではなく、本当に全国民が喜び、その準備にとりかかったものである。競技施設だけでなく、交通機関、道路などのあらゆる施設について検討が加えられたと思う。
当時、私は、大蔵省主計局にいて文教担当の主計官をしていた。オリンピックの準備の責任官庁は文部省であったから、その予算を与っている私は、もちろん大へん忙しかった。
オリンピック開催に必要な施設、現有施設の調査、不足乃至改良しなければならない施設、直接競技の開催に必要な施設の他、当然オリンピック村(宿泊施設)の整備、世界中から、しかも短期間に押しよせてくる人々の宿泊施設など、大袈裟に言えば国を挙げての準備であった。
今回、東京に決まった時から、そう言った面で手抜きがあったとは思えないが、何となく、全貌を把み難く、も少し、というよりもっともっと、国民全般にわかり難く説明する努力が行われたのか、よくわからない。
予算が、当初の予定よりもとんでもなく増えてしまったことが問題なのか。財源の問題にしても、何故東京都が五〇〇億も出さなければならないのか。
第一、あの設計はどういう経緯で決定したのか。森さんは初めから、あの形は気に入らなかった、とまで新聞にしゃべっている。そこまで言われると、ものの言いようもないのかもしれない。
こうなれば、御破算を願って、も一度全体計画を数字(経費)を入れて弾き直して、しっかりした最終計画を確定するしかないのではないか。
責任論はこの際一切棚上げして、出なおすより他国民を納得させる方法はないのではないか。