27・2・28
何べんでも書くようであるが、それは何べん考えても、昭和二十年八月十五日日本が降状を受け入れて戦争が終ってから六〇万人もの将兵が満州、北朝鮮、樺太、千島からシベリア奥深く送られて、その一割も死んだという事実が存在したことが納得できないからである。これは明かにソ連も遅ればせながら署名国となったポツダム宣言第六項に違反している。簡単に幤履のごとく捨て去られるなら国際的な約束など、一体何なのか、と聞きたくなる。
そのことについてソ連が一度でも明らかにしたことがあるのか、私は、聞いたことがない。
又、ソ連はわれわれを抑留する理由として戦後復興の経済五ヶ年計画実行への協力を挙げていた。現に、われわれ将校集団にもその協力を明らかにするために各人の署名を求めた。われわれは協力する義務はないとして拒否をしたが、収容所の中に入るわれわれの自活のために必要な労働に関しては協力をしてもいいと考え、署名をした。しかし、それは当然労働に対する報酬を貰うことが前提となっていた。
何べんも書いたように、われわれの団体・全国戦後強制抑留者協会は日ソ不可侵条約の不法な破棄とこの労働報酬の支給を中心として数十年の長きにわたり、民間団体としてソ連邦(ソ連邦崩壊後は主としてロシア共和国)を相手として、辛樺強く交渉を続け、代表者が毎年モスコウへ出むいているのである。
北方領土の返還問題も全く解決の曙光も見出せないまゝになっている。
彼等は戦争によって北方四島を奪い返したいと去い、国民にもそう説明しているのではないか、と思われるので、この交渉は容易なことでは妥協しないであろう。
しかし、諦めないで、交渉を続けることが必要である。世界正義のためにも。