26・8・23
といって、生命をかけるような勝ち負けではない。ま、お遊びである。
若い頃から、碁、将棋、花札、トランプ、麻雀、馬、パチンコ、カジノなど遊ぶことなら何でも好きである。スポーツも水泳、陸上、野球、テニス、ヨット、ゴルフとお遊び程度だが、それぞれ凝った時期がある。
もうこの年になると遊んでくれる仲間もなくなって来たが、わすれられない勝負もある。
この頃は麻雀も余りはやらなくなっているそうだが、われわれが二十才代は盛んだった。温泉旅行に出かけて、宿屋に着いたら、直ぐ御開帳、食事はおにぎりなどで済まして、座りっきり翌日まで、徹夜で朝食後、風呂にも入らず御歸京なんてこともあった。
勝ったことは忘れるが、負けたことは今でも思い出す。大阪勤務の頃、検事正に三枚さられて残りたった一枚の北を振り込んだ。スーシーホー。
箱根の旅館の夜戦で主計局長にとても出そうもない一枚の南を振り込んで国士無双などなど。あとあとまで言われたりして、口惜しいが、戦蹟取り消しはできない。
馬は、昭和二十五年、生れて初めて、思い立って府中の競馬場に女房と二人ずれ、まだ子供もいなかった。馬券の買い方もよくわからないのにまことにビギナーズ・ウインであった。秋の好元気、美しい芝に寐転びなから買った一枚の連勝式、毎日王冠賞でヤシマドゥーターの頭でズバリ当り。二人で新宿へ出て食事をし、映画を見て、おつりが来たからたまらない。そこで、又、行く。今度は東西対抗というレースで、タマッバキの頭で又とった。新宿で食事して、映画を見て、いいなァ競馬は、それがやみつきの始まり、あとはやはり払戻し七五%のルールにつき当ったようである。それでもG1のレースなど場外で買って五十年間続いたが、数年前有馬記念でちょこっと大穴をあて店仕舞いした。
カジノは四十年ほど前、出張先のパリで親しい友人に誘われて外国人専用のカジノに出かけた。一時間で友人に借りた十万円が三十万円になったので、負けてカッカとしている友人をおいてタクシーで帰った。当時の二十万円は値打ちがあって、女房の靴など買って帰って大いに評価された。それから、出張先にカジノがあれば、どこでも出かけた。しかし、商売はお客が損するように出来ていることを知るのに時間はかからなかった。しかし、今でも嫌いではない。ただ、チャンスがないだけである。
今カジノ法案が真面目に議論されているようだが、外国人専用のカジノなど止めた方がいい。第一、そもそもカジノをせっせと開くことがいいのかね、と思う。