26・5・16
「生まれかわっても、また新聞記者になる」と折に触れて、口ぐせのようだった司馬と書かれているが、自分の足と目で確かめるのを新聞記者の基本と考えていたという。歴史小説を書くときでも、まず現場を訪れ、そして膨大な資料を分析し、思索する、それが司馬のスタイルである、と書かれている。
産経新聞には二十三年六月から十三年いたが、火事があったら走って行くために新聞記者なったんだ、と言い、「理窟はいらない、粹でいなせで、火事場に向かう火消しのようでなければ」、と言っていたという司馬氏が、京都支局にいたとは言え、宗教と大学を主として担当していたのは大へん不満で、社会部の記者になることを切に願っていたという。
しかし、この新聞記者としての経験が、彼の厖大な「街道を行く」に、「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」などの著作に生かされて行ったものと思う。
「街道を行く」全巻を一括買って、片っぱしから、通読した時は、司馬史観に魅せられたものである。
この本は、司馬氏の作家としての故郷、すべての作品の源流を記したものと帯にあるが、司馬作品の眞髓を知るためのようすがとなる、と思う。