26・4・27
文章を書きながら思うことの一つは、読む人のことをつい考えてしまうことである。
思い切って、例えば人物評などをしょうとする場合、あれが読むだろうか、読んだらどう思うだろうか、などいうことである。
嘘を書くんではないから、どう思われようと割り切って了うこともできなくもない。
しかし、大抵は、相手方の感情を傷つけまいとして、本当に思っていることの手前でストップして了う。
政治や経済について論評する場合もつい二、三歩しりぞいて物を言うような形になって了う。
初めから批評家や作家などとして世の中に打ち出している人の場合には、相手も逆にその人の立場を理解して、くれることも多いのであろう。
私などの場合、今、現に自民党員であり、当然自民党の支持者であることなど知っている人もいるから、もう議員は引退して十年近くなったのに、麻生派(為公会)の顧問をしていることは知っている人もいるものだから、その立場で物を言うと、どうゆうふうにとられるか、などつい考えて了う。
しかし、もう余命も長くはないのであるから、物言わざるは腹ふくれるわざであることを先人も言ってくれているので、できるだけ、立場などあまり考えないで発言して行こうと思ったりしているが、諸君如何に考えられるか。