26.1.21

戦争が悲惨なものであったという記事(沢山の投書も含んで)は今でも到るところで見られる。私も今は同士が激減して来たが大陸の戦線を経験し、又、終戦時北朝鮮の駐屯軍司令部にいたために戦後ソ連に抑留され、三冬も酷寒の地に暮らしたものである。

私は思う。今もわれわれのなすべきことは、戦争の災禍を徒らに歎くことではなくて、戦争の発生を防止することである。

人間同士でも同じである。お互いに言論戦をやって、どうしても決着のつかない時は、最後は殴り合いになる。それが国同士なら戦争となる。そうなれば負けているわけにはいかぬ。敗戦のみじめさはお互いに充分知っている。戦えば、勝たねばならぬ。となると、普段から準備だけではしておかなければならない。それが軍備である。一朝一夕で出来上がるものではない。金を積んだって、それだけで実現するものではない。

将兵がいる。整備がいる。訓練が要る。

もし敵国が攻めてきても、武器を一切持たなければ、戦争にはならない。とかつて社会党などが真面目な顔で言っていた。そんなことはありえない、ということが何故わからないのか、それこそ悲しくなる。