26.1.6

小学館で出版した「日本の作家」13の川端康成を拾い読みした。

彼は私の旧制一高の先輩であるが、昭和十二年私が一高に入学した頃出版したのが「雪国」であった。

何べん読んだだろうか。しかし、あの頃読んでわかったように思っていたのは間違いであることが読むたびにわかって来るような気がした。

彼と直接会ったのはほんの数回に過ぎない。四谷の福田家が気に入っていてよく食事をしていたと聞いているが、文芸部が発行していた校友会雑誌の委員であった長谷川(私の文二の同級生)が友人とつれ立って鎌倉の彼の自宅を訪ねた時は、二時間余りの間、あの眼でじっとみつめられたままで殆んど会話が無かったので、諦めて退席したと長谷川に聞いた。

しかし、その無言劇の間、決して圧迫されるような状態ではなかったという。

小学館の「川端康成」は彼を知る数十人の作家、批評家などの川端康成評であって、色々な見方があるものだと思うと同時に単純に捕え難い川端の人物像を描いて尽きぬもので、つい拾い読みながら殆んど読んで了った。

彼は「葬式の名人」に書いているように、ごく若い頃から次々と肉親を失って、いわば孤児として育った環境は、本質的には彼に他人に対する同情というか、ほのぼのとした温かい心を残してくれたと思えた。

彼が好んだ福田家の仲居おゆきさんが銀座でささやかなクラブを開いた時、「ゆきさん」という名前を命名するとともに色紙を店頭に掲げたのである。

開店の日、一高の仲間が何人もお祝い方々店に押しかけ、川端氏がちょこんと座って笑っているのを見つけて、先輩先輩と無礼講が始まるや、軈てふっと消えて了ったのをよく覚えている。

決して不愉快そうな顔ではなかったが、あの眼でじっと人を見ている姿は変らなかった。

川端氏は日本ペンクラブの会長として世界大会の日本開催の際は、先頭に立って馴れない交渉事を誠心誠意したことはよく知られている。

丁度、その頃主計局で文部省担当の主計官をしていた私は、前例のないペンクラブへの補助金の交付を認めたことを覚えている。金額は二百万円ぐらいではなかったか、と思う。

その後のことであったが、親しかった今東光の参議院議員立候補に際して、熱心に選挙運動に協力したことは、氏の日頃を知るものとしては、意外な思いであったが、そういう活動も敢えてするところに氏の骨頂もあった、と思えるのである。

こうして書いていると、氏の姿が浮かびあがってくるどころか、ぼけてくるような気がするので、もう筆を止めるが、氏の死はやはり最後は生きていることのむなしさが先だったのではなかろうか。


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