今日で何回目のロシア行きとなるか、はっきりしないが、今はシベリアの上空を西へ西へと飛んでいる。相変わらず雲の連続で景色は一切みえない。

 これ程広い国土があればこそ、ナポレオンの攻撃もナチス・ドイツの侵略もしのげたわけで、つまり領土の広さが何よりも大きな抵抗力となったと言うべきか。

 私どもが収容所で一緒に暮していた人間もドイツ、イタリヤ、ハンガリーなどいろいろな国民から成っていた。ロシア人は人が良いと言われているが、それは一人でいる時にはそうかな、と思うことはあって、国として信用すべき相手ではないと思う。

 国際的な取引きの中にあって、日本はとかくあまい、と見られることがあるのではないか。そして外国で生産されたものは日本産よりいい、と見られているいわゆる舶来品という用語である。

 私ども小さい時、父親がこれはスイスの何とかという時計だよと大事そうに見せてくれたこともあるし、車、その他の機械もドイツやチェコ、フランス製などと言えば、もうそれだけで買う、というような風潮であった。

 今は、時代が変って、日本製は安全で衛生的で、壊れ難く、又長持ちをする、というので評価されてはいるが、しかし、まだ、例えば外国でレクサスの方がメルセデスより優秀な製品である、と見られているのに、日本ではまだ外車尊重の傾向がないとは言えない。

 朝の新聞広告の一つに舶来品という言葉が出ていて、私は少しばかりショックであった、ルイヴィトンのカバンにしても何故そんなに高いのか、と思う。丈夫だとか、破れても直してくれる、とかサービス面の手厚さなどが原国だとハネ返ってくるが、私は、それだけではないと思う。全世界のルイヴィトンの販売量の四~五割は日本の御婦人がたの買物によると聞いているだけに、舶来品をよしとする思考傾向がまだ残っているのではないか。

 もっとも、靴はどうもイタリーあたりの製品がはき易いと思う。型は崩れないし、皮の質も良い。長いこと靴をはいていた人種とたかだか一五〇年足らずの期間しか靴をはいてない人種とは、自ら差があるのは仕方ないようにも思う。文化の質の差ではなくて、文化の系統のも差であろう。