25・6・16

 休日は大てい1日どこにも出ないで、本を読んだり、片付けものをして過しているが、それでもたまには犬をつれて街を散歩してみることがある。

 この街は、戦前私鉄が分譲した土地が中心となって出来たところなので、その頃は1区画、昔で言えば1反・300坪となっていたようである。

 その後、相続の度に小さく分割され、又、300坪の土地を1軒で持つのも固定資産税の負担も樂でない、というような事情から、1軒当たりの土地が次第に小さくなって来た。当然家も小型になって来ている。

 以前は、防犯上のこともあるのか、堅固な、例えばコンクリートの塀などは作らないようにという申合せもあったらしい。たしかに、そういう塀の中に人がひそめてドロボーなどの被害に遭いやすいかも知れない。

 散歩しながら見て歩いていると。本当に多種多様の建物に出会って、飽きない。全く窓のないようにみえる家やら、小さい宮殿のような家やら。滅多にみないのは、純日本風の家である。

 殆どの家が車を持っていて、その置場にいろいろ工風がある。ベンツが多い、レクサスも増えた。

 東京には高層建築物が雨後の苟のように増えたというが、羽田を飛び立った飛行機から眺めると、まだまだ平坦に見える。

 昔、山の手の内側の建物は、平均して15階と聞いた。今はもっと平均階数も増えているだろうが、もし、モスクワや北京などのように、公的集合住宅を造って行けば、それぞれ、もっと住民を収客しうると思う。

 そのような、変化の乏しい、うるおいのない街並みになって行った方がよいのか、住民おのおの、制限はあるものすき勝手にマイ・ホームを建てて行った方がいいのか、大へん大きな課題である、と思っている。

 大都市の建物について建築基準法上、容積率、建蔽率は今よりもっと引き上げるべきだと考えているが、それによる人口の集中化は不可欠である。私は、止むをえないと思っている。それは、自然の流れでもあって、所詮、過疎化対策は余り意味をもたないのではないか、と思っている。