25.3.20

3月16日の朝日(夕刊)に昭和史再訪として戦後満州からの引き揚げについての記事が載っていた。

私は、戦時北朝鮮の軍司令部にいて終戦後2ヶ月余りしてソ連に運ばれ3年抑留の目に遭ったのであるが、かねてから満州におった民間の人々がどのような状態にあったかは深い関心を持っていた。

終戦時満州国政府の要人の一部は抑留されてわれわれのいた収容所、タタール自治共和国のエラブカに連れてこられて、野菜調理班として凍ったジャガイモの皮むきなどに従事していた。80人ぐらいで文官中隊と呼んでいた。

その人達の話も聞いたが、何せ戦後間もなく抑留されたので、その後の話は承知していなかった。

一体、終戦時どれだけの邦人が何をしていたか、終戦後どうしたか、関東軍の家族はいち早く帰国したとか、いろいろ不確かな情報を耳にするばかりである。とにかく、開拓勤務隊の要員を初めとして沢山の人が亡くなり、引き揚げて来られた人々にしても想像を絶する苦労をされたことは間違いないと思っている。

それにしても、その実態はどうだったのか、然るべき責任あるところで記録として取り纏めておくべきものだし、是非後世のためにもそうして貰いたい、と思っている。

本当はもっともっと早くなすべきことではなかったか。外地での戦後処理の記録は個人の脈絡のない記録は別として、政府としてできる限りの調査をし、記録を遺しておくべきではなかろうか。

遺骨収集ですら満足に終っていない現状であるが、遅くなればなるほど不可能になってくるので、敢てこのことを政府に求める次第である。