昔程ではないが、今でも結婚披露宴に招かれる時がある。ハワイや海外で式を挙げて、披露宴だけを日本で行う、という形もあるし、いわゆるジミ婚として本当に親類縁者だけで挙式・披露をするという例もあるし、又、反対にホテルの大きなルームで何百人も招いて盛大に披露宴をする人もある。
ところで、昔は仲人のいない結婚式・披露宴などはお目にかからなかったが、近頃は仲人のいない例が少なくない。披露宴の正面テーブルには新郎・新婦だけが並んで坐って、宴の開始時に仲人の新郎・新婦の紹介もない。いきなり、新郎側の主賓、続いて新婦側の主賓の祝辞となる。両人の履歴は仲人が紹介したものだが、今は主賓に委せているので、親しい人はともかくとして、それ程でもない人は、新郎・新婦はどういう経歴の人で、どうして結ばれたかも、よくわからないことがある。
その代り、多いのは、ビデオによる新郎・新婦の赤ん坊の頃からの紹介画像である。それで大体の生立ち、結ばれた縁などもわかるからいいようなものではある。
仲人などを立てなくても神前結婚・人前結婚など、いずれにしても両人から固い誓いの言葉は述べられているのであるから、強いて形式的な仲人を立てなくてもいい、という考え方に強いて反対はしないが、私は、やはり、しっかりした仲人を立てるべきではないかと思う。なにも嫌になって、どうしても一緒に暮したくなくなったら別れるのも仕方ないが、そのような気持になった時に、あの夫妻が自分達の仲人になってくれたのだから、その顔を潰すようなことはしてはいけない、と思うことが、いくらか決心を鈍らせる効果があるのではないか、と思う。
そんなことは余計な心配で、本当に別れたかったら別れたらいい、と言う方がいいのだろうか。
私どもが仲人に立った結婚式は数十組あるが、そのうち何組かはごく早いうちに離婚して、それぞれ再婚し、子供を設けて、結構幸せそうに暮しているから、他人の御節介で離婚などしない方がいいよなどと、言えた義理ではないが、やはり、一時の気持をなだめて別れずに生涯を全うするのもいい、と思うが、どうだろうか。
仲人を務めた夫婦から年に一度だけでも便りを頂戴すると、矢張り嬉しい気がするものである。