この間、在日(韓国人)のある人から、終戦後、3万人の日本軍将兵がウラジオストックなどから北朝鮮に送られて来たことを知っているか、尋ねられた。
数年前、私が全抑協(全国戦後強制抑留者協会)の会長としてモスクワを訪ねた際、軍事中央古文書館の館長からその事実を聞き、名簿の存在を確認したので、厚生省の担当部局に連絡をし、名簿を送って貰うことにした。
3万人もの将兵は、ソ連抑留者約60万人の1部であるが、病気など身体の状況でシベリアでの労働に適しないと判定されたものと聞いている。それならば、何故、日本に送還しなかったかについては説明がなく、依然疑問である。
ところで、その3万人がその後どうなったかについて、北朝鮮側から連絡があったという事実は承知していないが、私の親しい友人の一人(将校)は戦後ポシェット軍港上陸後、クラスキリーノの原野でテント生活をしていた。そこで偶然、私は再会し、奇遇を喜びあったが、彼は、その後どうも北朝鮮に送られ、それから内地に帰還したと聞いている。いずれにしても、これは1例であるが、昭和20年の8月15日の停戦時、満州、北朝鮮、樺太、千島など外地に在留していた日本人、とくに民間人の動勢について詳細に調べた記録を見たことがない。
敗戦の後、GHQによる軍政が続いた日本であるので、戦後、間もなくは、とてもそういう調査は難しかったとしても、まだ関係者が若干でも生存しているこの時期に是非調査をして貰いたいと思っている。もう資料は散逸していると思うので、無理かも知れないが。