24.1.17

この暮からの冬休みの数日間を沖縄の名護で過ごした。昭和四十六年、今から四十年前、復帰の前の年に国有財産を所管する大蔵省理財局長として訪れて以来四回目の沖縄訪問である。この四十年間の沖縄の変化は著るしい。冬でも暖かく、風光明媚で食に恵まれた観光地として賑わいを見せたこの島もとくに東北の大地震以後いろいろな面で影響を受けているという。

一日、辺戸岬まで車を走らせた。この本島最北端の地の景色は素晴らしかったが、暴走族の車で溢れていた。帰りは東側の道を南に下って辺野古に寄った。一目見たかったのである。一帯は米軍の基地であるが、かつて多数の海兵隊員が駐屯していた頃の青い灯、赤い灯色とりどりの盛り場の姿は今や全く寂れていたし、飛行場の移転を予定して注ぎ込まれた金で建てられたおびただしい学校、公会堂その他の施設も空き家同然の状態であって、観光客もチラホラであった。

誰がどう言った、というのは控えるが、タクシーの運転手やホテルの従業員、売店の人々など会った人に尋ねると、米軍がいなくなったら沖縄はどうなるんですか、と心配する声もあったし、辺野古移転については五五・四五の割合で本当は賛成が多いですよという人もあったし、絶対反対という声は全くなかった。

これから先の意見の開陳は今は控えておくが、現地を見てよかった、と思ったことだけをつけ加えておく。