私は、大正11、2年頃、新潟県高田市に住んでいた。雪の深い所で、真冬は2階の窓から出入りした、雁木の下に作られた洞穴のような暗い道を歩いた記憶がある。朝は、かんじきをはいた大人達が降ったばかりの雪を踏み固めて子供達の学校へ通り道を作っているのを見た。又、冬が明けると、固めた雪を大きな銘で切っているのを見た。氷室に蓄え、夏に氷として使うのだという。
こういう記憶は私の3、4才の頃なので、果たして私自身が見ての残像なのか、母親に聞かされた話がイメージとして残っているのか、よくわからないでいた。
昨日、吉村昭の書いた「東京の下町」という本を読んでいたら、私より8つ位年下の彼が2、3才の時に記憶している下町の風景について述べているのを読んで、やはり私の記憶に残る景色は私自身が見たものだと、確信するようになった。
三つ子の魂百までと言うが、子供だからといってバカにしてはいけない、とのいましめを感じた。3つ4つの頃に見た世の悲喜劇は、幼いだけに深い映像を心に刻むものではないか。
22・6・28